南北相法巻ノ十(南北相法後篇巻ノ五、最終巻)

水野南北居士 著

《気色湊(きしょくつたい)の部》

《気色が湊走(つたいはし)る様(かたち)を弁ず》

頭は太陽(=大陽)の集まる場所であり、身体における城市(じょうし、≒都市、繁華街)である。ゆえに、面部は一身における江湊(こうそう、≒港)に等しい。よって、万事の吉凶は潮(うしお)の干満の如く、日々面上に湊流(そうりゅう)するのである。ゆえに、これを気色の湊(つたい)と名付ける。
 
また、祖師の後から現在まで、血色、気色の事は大いに廃(すた)り、気色の色を観たいと欲しても、実際に観る事が出来る者はいなかった。このため、血色の発現を観る事が出来ても、気色の湊流がある事は理解し難かった。よって、私がここに明らかにする。
 
気色の湊(つたい)とは、必ずしも、糸を引いたように現れるものではない。例えば、顴骨から気色が起こり、土星(=鼻)の方へ現れて湊(つた)うように観える場合は、これを骨から土星に湊う気色、と言う。その様子は、(みみず)が(は)うように湊い走っているようである。また、児(みどりご、=乳児)の小指の先で引いたかのように、細く現れる事もある。あるいは、灯心がうねるように湊い走る事もある。そもそも、気色とは言うものの、必ずしも気があるわけではなく、色があるわけでもなく、何となく気が湊わっているように観えるのである。よって、気色の湊いにおいては、青色、黄色、赤色、白色、黒色、美色、紫色、紅色の気色は現れない。ただ何となく、潤いがあるものを気色と呼ぶのである。一方で、暗く、潤いのない気色もある。以上の二種以外は現れない。つまり、その潤いの有無によって、気色の吉凶、善悪を観定めるのである。 

《気色湊走(つたいはし)るの図(図1参照)》

↑図1「気色の根元だけで判断してはならない」

気色が湊い走るというのは、ともかくも、図のように現れる事を言う。だが、図のように荒々しく、毛穴が連なったように現れるわけではない。面上の肉付きが図のように際立って観える様子を、解りやすく図示しただけである。例えるならば、剣の刃文(はもん、=剣花、匂)、剣の(つば)というようなものである。ただし、上から下へ下る事もあれば、横から現れる事もある。あるいは、下から上る事もある。または、穴所から穴所へ湊い走る事もある。さらには、穴所から穴所に湊うような勢いがあるものの、湊わない事もある。だが、湊うような勢いがあるならば、すでに湊わっているのと同じである。
*「剣の刃文、剣のという…」…原文では「劍ノ劔華鍔ノ如ク…」である。「劔華」は剣花(=剣と剣がぶつかり合った時の火花)だと考えやすいが、原文には「ニホヒ(匂い)」と仮名が振ってあり、ここでは刃文(はもん)とするのが正しい。なぜなら、「匂」は刃文の意を含むからである。また、「劔華」は「剣の華」に通じ、刀剣が備える華やかさの事でもあり、刀剣の刃文の美しさを指すと考えられるからである。実際、江戸期の刀剣は工芸品としての美しさは極限に達していた。ちなみに、刃文とは、日本刀(=刀剣)の刃の部分に沿ってみられる、美しい模様の事である。(つば)は文字通り「(つば)」の事で、刃と持ち手(=柄、つか)を仕切る金具の事である。原文に付された図を見れば明らかであるが、気色の根元が鐔、根元から先が刃文のような形をしているのがわかる。パッとみると、刀剣のような形の気色である。後述する「殺伐の気色」は、まさに刀剣の貌(かたち)を呈しており、実際のその気色の意味は、「剣難によって死ぬ」である。 

《交同(こうどう)気色の図(図2参照)》

↑図2

図のように、上の穴所から気色が出て、下の穴所へ湊う。また、下の穴所から気色が起こり、上の穴所へ湊い、相交わる時は、交同の気色と言い、善事も悪事もお互いの相談が一致して何事かを企んでいる、と判断する。どの穴所から現れていたとしても、以上に準じて判断する。もし、穴所を離れて現れていたとしても、何によらず一味で事を企んでいる、と判断する。 

《交齬(こうご)の気色の図(図3参照)》

↑図3

図のように、上の穴所から気色が起こり、下の穴所へ湊う。また、下の穴所から気色が起こって上の穴所へ湊い走り、交わってはいるものの、その気色の先端が分離して一致しない時は、一味となって何事かをしたいと企んではいるが互いの意見が合わず、企みが成就し難い。だが、不成就である、と断言してはならない。下の気色の先端が曲がって上の気色に付いて交わる時は、成就する、と判断する。また、以上の気色に勢いがない時は、確実に成就しない、と判断する。 

↑図4

以上の気色が起こり、湊い走ろうとする前は、まずは図のように現れる。この気色の先がどの穴所に向かって走るかを考え、判断する(図4参照)。
 

↑図5

図のように、枝分かれしたような気色が現れていたら、判断しない(図5参照)。 

《羅色(らしょく)の図(図6参照)》

↑図6「このように曲がらず、羅(つらな)って並ぶものを判断する」「このようにまばらで、沢山あるものは判断しない」「このように広い、狭いはあっても、真っすぐであれば判断する」

羅色とは、例えるならば、海中に陰火があるに等しい状態の色である。つまり、海中の陰火は天地の順気に随って、自然と生ずる。また、太陽の終わりは少陰の始まりに多く現れるものである。よって、七月の節気(=小暑、大暑)にこの羅色が現れたとしても、考慮に入れてはならない。天地には、暑寒風雨においても不順の変化がある。その変化に随って、自ずと海中に陰火を現わす事がある。また人も、天地と同じ一気の滞りから病を生じたり、一気の変動によって喜怒哀楽する。これは天地の不順と同じである。ゆえに、一気の変動から善悪の血気を生じる。つまり、万事の吉凶は、一気の意識の変動によって生じるのである。 

《天中に羅色があり、三、四歩(約1cm)ずつ間を置いて印堂の方まで続いて並ぶ時は、これを天中から印堂に来る羅色、と言う(図7参照)》

↑図7

乱れてまばらに現れる時は、判断しない。どの穴所に起こって、どの穴所に続き羅(つらな)っていても、以上に準じて判断しなさい。気色湊の場合と同様である。なお、変化に応じて観る時は、羅色の数によって判断する事がある。また、赤色が出て、羅色のように羅(つらな)り並ぶ事がある。これらも羅色と同様に判断する者がいるが、この場合は判断してはならない。さらに、数によって判断する事は、易術のような事であり、相者が忌む(≒避ける)べき事である。羅色とは、元来は気色の湊(つた)いではあるが、浮いた部分と沈んだ部分があり、浮いた部分は観易いが、沈んだ部分は観定め難い。ゆえに、まばらで、羅(つらな)ったように観えるのである。これを羅色と名付ける。大体において、気色の湊いは少し曲がって現れるものではあるが、羅色おいては曲がらない場合が多い。だが、わずかに曲がる場合はある。気色の湊い走り方によって、判断の仕方が異なるあらましをここに記した。 

《顴骨から気色が出て男女の官へ兆(きざ)す時は、養子の申し出がある(図8参照)》

↑図8

顴骨は世間を司り、男女の官は子孫を司る。ゆえに、顴骨から気色が出て男女の官の方へ向かう時は、つまりは世間から子孫が来る、という象(かたち)である。以上の気色に潤いがある時は、必ずその養子は吉である。逆に、潤いがない時は凶である。養子になる事が決定する時は、以上の気色が男女の官に入って潤いを生じる。逆に、養子の件が白紙に戻る時は、以上の気色は男女の官の外方へ流れる。 

《男女の官から気色が出て顴骨へ兆す時は、必ず子孫を他人に渡す(図8参照)》

気色の善悪によって、その吉凶を考え、判断しなさい。だが、若いか年老いているかによって、観方が異なる。 

《男女の官から気色が出て顴骨の後ろへ一文字に走る時は、子孫(=子供)が駆け落ち(≒逃亡)する(図9参照)》

↑図9

気色が髪の中へ入る時は、必ず子孫は行方不明となり、帰来し難い。しかし、男女の官から顴骨の後方へ走る気色が男女の官の内に収まっている場合は、必ず帰来する。すぐに帰って来る。また、以上の気色が顴骨の後方に濃く現れ、男女の官に薄く現れる時は、すぐに帰っては来ない。
*駆け落ち…現代の感覚でみると「男女が他郷へ逃げる事」と思いがちであるが、この場合の駆け落ちはいわば亡命(≒戸籍を抜けて逃亡する)の意に近い。江戸時代は、庶民が貧困や悪事を原因として、他郷へ逃亡する事が多かった。ちなみに、武士が戦場から逃亡する事は欠け落ちと言う。
*人相術において、髪の毛が生えている部位・顔の側面は、いわば陰面であり、森や幽なる場所(≒あの世)を表象する。ゆえに、この中へ気色が消える時は、それに該当する人物がその場所(=陰地)へ行くか、すでに行ってしまっていると観る。例えば、男の左の妻妾から出た気色が辺地を越え、その先の髪の毛の中へ続く場合、その男の妻は現在行方不明であるか、他界している、と観る。 

《男女の官から気色が出て土星(=鼻)の方へ兆す時は、必ず子孫から慕われている(図10参照)》

↑図10

男女の官は子孫を司る。土星は己の身体の表象である。ゆえに、土星から気色が現れ男女の官の方へ兆す時は、自分から子孫を慕う心がある。 

《顴骨から気色が現れ土星へ兆す時は、必ず世間(≒他人)から頼まれ事がある》

顴骨は世間であり、土星は己の身体の表象である。ゆえに、土星から気色が出て顴骨の方へ兆す時は、自分から他人に頼む事がある。以上の気色の善悪によって、うまくいくかどうかなどの吉凶を考え、判断しなさい。 

《奴僕の官から気色が出て害骨へ一文字に走る時は、必ず家来(≒部下、目下)が欠け落ち(≒逃亡)する(図11参照)》

↑図11

奴僕は自分の家来を表象する。害骨は辺地(≒遠方)を表象する。ゆえに、奴僕の官から気色が緩やかに現れ害骨の方へ兆す時は、自分の用事によって家来を遠くへ遣(つか)わす事になる。 

《奴僕の官の外側から気色が現れ奴僕の官に入る時は、近日中に家来を得る》

その気色が奴僕から出て、地閣を貫き、少し広がって潤いを生じている時は、その家来は大いに善い。地閣は家を司る。ゆえに、しっかりと家を守ってくれる家来である、と判断する。しかし、地閣を貫いた気色が大きく広がり過度に潤いを生じている時は、善い家来を得たとしても、必ずその家来は後に我が身の仇(≒害悪)となる。これはつまり、満つれば虧(かけ、=欠け)るの意である。 

《奴僕の官から気色が現れ、その気色の先に赤色がかかる時は、家来が他所へ行って争う》

その赤色の善悪によって、その吉凶を判断しなさい。ただし、赤色が濃い時は身に関わるような大難がある。また、家来でなく親類であっても、家来の場合と観方は同様で、家内にいる人が他所に行って争う時も、以上のように気色が現れる。 

《奴僕から潤いがある気色が出て法令線を上る時は、必ず己の力になってくれる家来が現れる(図12参照)》

↑図12

法令線は家業(≒職業)を司る。貴賤に関わらず、奴僕(=家来、部下)は主君(=上司、主人)の家業を守るのが役目である。ゆえに、奴僕の官から暗いような気色が出て法令線を守るように上る時は、力になってくれるようにみえても、その奴僕は己の害となる。あるいは、己の家業の内情を暗ませる(≒混乱させる)。しかし、貴賤に関わらず、多くの奴僕を抱える人においては、判別し難い色の気色が奴僕の官から出て、法令線を守るように上るものである。また、この場合の気色は奴僕の善悪に関係なく、奴僕が多い人には常に現れる気色である。 

《法令線は家業を司る。ゆえに、法令線の根元から潤いのある気色が出て、二股に現れ下る時は、必ず家業が二つになる(≒副業が可能となる)》

この気色は法令線に随って、二股に現れて下る。また、この場合の家業は貴賤に関わらず、二つになる事で大いに良くなる。以上の気色には、基本的には清濁はない。古い家業を廃して新しい家業を始める時も以上と同じ気色が現れるが、この気色には清濁がある。この場合、潤いのない気色を古い家業とし、潤いのある気色を新しく始める家業と判断する。なお、その潤いの有無によって、新しく始める家業の吉凶を判断する。 

《日月の官、主骨の官の辺りから潤いのある気色が出て福堂へ兆す時は、必ず目上から金銭を得る。何れかの目上からの助けがある(図13参照)》

↑図13

金銭が自分の収入となる時は、即座に福堂に潤色が生じる。これはつまり、日月の官、主骨の官が目上の官であり、福堂が己の福分と金銭を司る官である事によるものである。ゆえに、福堂の官から気色が出て、日月の官と主骨の官へ兆す時は、その当時は目上を「貢ぐ人」と判断する。以上の気色は、日月の官と主骨の官の辺りから福堂へ兆す気色と観間違える事がある。ただし、この気色は根元が濃く、末端は自然と薄く観える。 

《日月の官、主骨の官の辺りから、麗(うるわ)しい気色が現れ、印堂へ兆す時は、必ず目上から善事が来る(図14参照)》

↑図14

暗い色が下る時は、必ず目上から大難が来る、と判断する。また、この気色が命宮へ貫く時は、必ず主君の戒め(≒懲罰、禁制)に遭い、一命に関わると判断する。 

《顴骨から暗い気色が現れ、うねうねと妻妾の官へ向かう時は、必ず己の妻を口説こうとする者がいる(図15参照)》

↑図15

妻の心が乱れる時は、その気色は妻妾の官に入り、紅気のような潤いを生じる。逆に、妻の心が動かない時は、妻妾の官の血色は動かず、平静を保つ。妻妾の官は妻の様子を司り、顴骨は世間の様子を司る。また、その当時、間男(=愛人)がいる妻も以上のように心が乱れるため、妻妾の官が自然と乱れ、紅気・乱色が現れる。そして、天君とするべき夫を暗ませる(≒混乱させる)。ゆえに、天庭、官禄の血色は自然と悪く、督脈通り(=正中線上)は不正となり、曲がりを生じるように、肉付きが自然と衰える。これはつまり、密男(まおとこ、=間男、愛人)がいる相である。また、密男となる者も、以上のように人として間違った事をしているため、天理に背き、上停に蒙色を現わす。蒙色は恐れるべき色である。また、妻妾の官の皮膚上に赤紋が生じ、督脈通りが不正に曲がるように、自然と肉付きが衰える。人は、天地正直(てんちせいちょく)の気によって自然と生じるものであり、督脈は正直(せいちょく)で、素直なものである。だが、己の心が曲がり、天に背くがゆえに、正直であるはずの督脈通りが不正となり、その肉付きが自然と衰えるのである。さらに、督脈は一身の陰陽の縫い目であり、生涯の運気を司る。ゆえに、督脈の縫い目が正しい者は、生涯の運気が良く、小さな事にも満足出来るものである。逆に不正な者は、生涯の運気が自然と悪い。よって、男女ともに、密男(=浮気)は慎むべき事である。督脈が正直な相は、君子の相と言い、大いに良い。しかし、以上の密男の事は、等閑(なおざり)に論じてはならない。口伝がある。 

《目尻から気色が現れ、辺地へ走り、辺地の辺りで澱(よど)むように観え、外方に走る時は、必ず遠方に行って一度留まり、さらにその場所から他の遠方へ行く、と判断する》

眼は一身の日月であり、己の心(≒意思)に属する。また、辺地の官は他国(≒遠方)を表象する。以上の気色の善悪によって、その吉凶を考え、判断しなさい。 

《辺地から気色が現れ妻妾へ兆す時は、必ず遠方から妻を迎える(=遠方の女性との縁談がある)(図16参照)》

↑図16

以上の気色の善悪によって、縁談の吉凶を判断しなさい。辺地の官に変色が現れる時は、先方に障害があって、成就しない。また、妻妾の官に障害がある場合は、己の側に故障がある。 

《奸門から気色が現れ目尻へ兆す時は、必ず女(≒愛人)から慕われる(図17参照)》

↑図17.奸門は妻妾の後方の部位である。つまり、正妻の部位より奥まった、陰になった部位にある。

逆に、目尻から気色が現れ、奸門へ兆す時は、自分から女を慕う。前述したように、眼は己に属し、奸門は陰の女(≒愛人)を表象する。 

《女の顴骨から気色が現れ妻妾に兆す時は、世間に自分を慕う男がいる(=男から慕われている)(図18参照)》

↑図18

もし、その男と夫婦になる時は、顴骨からの気色が退き、上停から気色が現れ、その気色は妻妾へ通じる。ただし、顴骨は世間を司り、上停は天であり、夫の位とする。妻妾は妻の位とする。ゆえに、すでに夫婦となれば、夫は天に位置し、女は夫を得てその身が治まり、その位が定まるのである。

《娘(=未婚の女子)を観て、世間から養子の婿(むこ)を迎え入れる場合も、前述のように顴骨から気色が現れ、妻妾へ兆す(図19参照)》

↑図19

もし、その縁がすでに定まっている時は、前述のように上停から気色が現れ、妻妾へ通じる。さらに、夫婦となった時は、たちまちの内に、官禄の宮に紅潤が現れる。これはつまり、夫を得た事によって己の官禄(≒生活基盤)が定まるためで、自然と紅潤の徳を現わしているのである。 

《離縁したのに未だ夫を慕う女においては、妻妾から現れた気色が、上停(=夫に対応する部位)へ兆している(図20、図21参照)》

↑図20

↑図21

しかし、その当時は夫と離別しているため、夫の光(≒金銭、威光)を受ける事が出来ていない。ゆえに、官禄の宮には紅潤の色は現れていない。以上の事は、気色の善悪によってその縁談の吉凶を考え、どうすべきなのかを判断しなさい。 

《土星(=鼻)から気色が現れ、顴骨の下を巡り奸門へ兆す時は、世を忍び、陰の女に通じている(=浮気している)》

奸門は妻妾の後方に位置し、陰の女(=密通相手、愛人)を表象する。土星は自分自身を司る。顴骨は世間を司る。よって、世に知れた状況で(=公然と)陰の女と関係する時は、土星から出た気色は顴骨を貫いて、奸門に走る。 

《妻が定まっている者(=既婚者)においては、陰の女(=愛人、不倫相手)の事は、奸門と命門の二か所に現れる(図22参照)》

↑図22

未だ妻が定まらぬ者(=独身者)においては、陰の女、表の女に関係なく、女の事は妻妾の官に現れる。 

《顴骨から気色が現れ、妻妾へ至る時は、必ず妻を申し受ける(≒結婚する)》

もし、縁が定まる時は、その気色は妻妾の官の内に入り、紅潤となって濃く現れる。さらに、縁が定まってしばらくすると、その紅潤は収まるようになり、自然と血色は穏やかに観える。顴骨から妻妾の官へ至る気色が妻妾の官の内へ入らない時は、必ずその縁は成就しない。 

《青ざめたような気色が妻妾から現れ、妻妾の後方へ走り、髪の内へ入る時は、夫婦喧嘩が原因で、その妻が行方不明になっている(図23参照)》

↑図23

以上の青い気色とは、この場合のみに現れる気色であり、他の穴所に現れる事はない。青気(せいき)は肝気であり、怒りの色である。よって、争いの気持ちを暗示する。また、髪の内は空(くう)であり、無常な場所とする。ゆえに、その妻は行方が知れぬ、と言う。夫婦が睦まじい状況で妻が遠方へ行く時は、妻妾の官から潤(うるわ)しい色が現れ、辺地、駅馬へ緩やかに兆す。また、妻妾の官から現れて顴骨に兆す時は、近い所に行く、と判断する。つまり、顴骨は陽面にあり、世間を司るゆえである。またこれは、繁華の地(≒都会)へ行く、の意がある。しかし、以上の気色が顴骨を貫く時は、その場所から遠方に行く、と判断する。気色の善悪によってその吉凶を判断しなさい。 

《奸門から気色が現れ、福堂に兆す時は、陰の女が金銭の借用に来る(図24参照)》

↑図24

逆に、常に福堂から奸門に気色が通じている時は、必ず陰の女へ金銭が漏れている(=女に貢いでいる)。奸門は妻妾の官の後方にあり、陰の女を表象する。福堂は己の福分、金銭を司る。 

《奸門から気色が出て地閣に兆す時は、必ず密通している(=浮気・不倫している)女が己の家に来て、住む(=転がり込んで来て、同棲する)(図25参照)》

↑図25

もし、その女が己の家に住む事が決定した時は、奸門から妻妾の官へと潤色が生じる。また同様に、地閣に潤気が現れる。さらに、このような気色が奉公人(≒使用人、雇われ人)に現れる時は、陰の女の勧めによって家宅(≒新居)を求める事がある。以上の気色は奸門から現れ、顴骨の後方を下り、地閣へ兆す。前述のように、奸門は陰の女を表象し、地閣は家宅を司る。 

《兄弟(けいてい)の官から気色が現れ眼中に入る時は、必ず親戚の誰かが、己への謀(はかりごと)を企んでいる(図26参照)》

↑図26

兄弟の官は親族を表象する。眼中は己の意思、心に属す。 

《眉の中ほどから気色が現れ辺地へ兆す時は、必ず親族の誰かが遠方に行く、と判断する(図27参照)》

↑図27

その気色の善悪によって、道中・行き先での吉凶を判断する。そもそも、関係の浅い親族の事は現れない。関係が深く、仲の良い親族であれば現れやすい。そうは言っても、大難によって親族が遠方へ行く時は、関係の深浅、遠近によらず、たちまちにして現れる。 

《天中・天陽・高広の辺りから潤(うるわ)しい気色が現れ官禄に兆す時は、思いもよらぬ善事が起こる(図28参照)》

↑図28

天中・天陽・高広の官は、面部(=顔)の上停にあり、天を表象する。また、官禄は己の体であり、己の分限(≒身分)を司る。ゆえに、天中・天陽・高広の辺りから悪い気色が下る時は、天から悪事がもたらされる前兆である。 

《ここに述べた天中・天陽・高広の官は、何れも天を表し、君(≒君主)に象(かたど)る。また、君があってこそ、臣(≒臣下、民衆)が存在出来る。つまり、臣に官禄があるのは、君に官禄がある事による。ゆえに、君を観る場合の官禄宮は臣とし、臣を観る場合の官禄宮は君とする。平素は、臣は官禄宮に留まっている。この事を自得し、用いなさい》

天中・天陽・高広の穴所は、何れも髪際(はっさい)を基準にして定めるとは言うものの、若年は髪際が厚く(=濃く)、額は髪で覆われている。よって、この三つの穴所は下方に位置する。しかし、老年に至れば髪は薄くなり、額は自然と禿げあがる。ゆえに、この三つの穴所はそれに随って上方に位置するようになる。よって、この天中・天陽・高広の穴所は「空(くう、定位置が無い)」であり、その位置を定め難い。そのため、髪が厚い者は髪際を基準にして定める事が出来るが、五十歳にならないうちに禿げあがる者においては、髪際を基準にして穴所を定め難い。この場合は、「見上げ皺(じわ)」と言って、上を見た時に額に現れる一番上の皺を基準にして、この三つの穴所を定めなさい。 

《左右から気色が現れ地閣に集まって来る時は、必ず家に人気が集まる、と判断する(図29参照)》

↑図29

この気色は左右の地庫の辺りに起こり、地閣に集まって来る。その気色は例えるならば、寒中で息を吐いたようであり、左右から集まって来る。地閣は家を司る官である。家に善事があって人気が集まる時は、この気色は自然と豊かで潤いがあるように観える。逆に、悪事があって人気が集まる時は、自然と暗く観える。他の相も観合わせて判断しなさい。ただし、これは気色の湊(つたい)ではない。別の事である。 

《待ち人が来る、来ないを論ず》

*待ち人…訪問者。

《辺地から気色が起こり、眉目尻の方へ兆す時は、必ず待ち人がいる(図30参照)》

↑図30

以上の気色は辺地から起こり、眉目尻の方へ走っているかのように観える。また、辺地から眉目尻の方へ走り、届く事もある。この気色は前述したように、灯心のように、うねったように走り、湊(つた)う事がある。さらに、児(=乳児)の小指の先で引いたように、湊い走る事もある。
 

《辺地から現れた、眉目尻の方へ兆す気色があり、その走る勢いが強い時は、待ち人が来るのは早い。逆に、勢いが弱い時は、来るのは遅い》 

《気色が現れ、走る勢いがない時は、その人が心に欲しても、待ち人は来難い。もし、来るとしても遅い》 

《待ち人の思いがつのる時や、急いで行こうと思っている時は、以上の気色に勢いがあり、自然と一文字に観える》 

《待ち人の心が高ぶらない時や、急いで行こうと思っていない時は、以上の気色に勢いがなく、撓(たわ)んだように観える》 

《以上の気色の中に変色や障りがある時は、道中に難がある。また、気色の根元の方に障りがある時は、先方に難がある》

以上の気色は、先方も行きたいと思っており、自分も来てもらいたいと思っており、互いの想いが通じる事によって生じる気色である。また、例えば、遠方に子供がいて、常に子供が来る事を待ち望むのは、親の情(なさ)けである。しかし、その子供が親のもとへ行く事を望んでいなければ、互いの想いは通じない。ゆえに、気色は現れない。だが、その子供が時として親を想い、行く事を望む時は、互いの想いが通じ、たちまちにして気色が現れる。 

《地庫の辺りから気色が現れ地閣へ兆す時は、我が家に掛人(かかりゅうど)が来る、と判断する(図31参照)》

↑図31

また、予告なく遠方の人が来る時も、以上のような気色が現れる。しかし、二十四時間以内に帰る者であれば、この気色は現れない。貴賤に関わらず、以上に準ずる。なお、気色の善悪によって、その掛人の貴賤、吉凶を判断しなさい。
*掛人(かかりゅうど、かかりうど)…寄宿人、居候人、食客(しょっかく、しょっきゃく)、掛かり人、懸かり人。他人の家に身を寄せて生活している人。他人に世話をしてもらって生活している人。よその家に寄食している人。 

《旅行・道中・行き先の吉凶を論ず》

旅行の気色は、待ち人の気色と裏表の関係にある。しかし、旅行の気色は前述のように、燈心(=灯心)がうねるような、乳児の小指の先で線を引いたような、薄青い気色である。この事を心得て観なさい。ただ一通りに気色と思う時は、必ず待ち人の気色と観間違えるであろう。そうは言っても、青気というわけではなく、何となく青い気色のように観えるのである。よって、仮に青気と呼ぶ。後述する事も、これに従いなさい。 

《眉目尻の方から青気が現れ辺地へ湊(つた)う時は、旅行する、と判断しなさい。また、人によっては辺地の側に青気が強くあって、眉目尻の方へ来るように観える事もある。しかし、本来は、眉目尻から辺地に湊う青気である(図32参照)》

↑図32

以上の吉凶を知る場合、その青気の中に少しでも障りがある時は、必ず道中(=旅行の途中)で障り(=事故、事件)がある。逆に、少しも障りがなく、健やかに観える時は、道中は無難である。また、辺地の官で旅行、行き先の吉凶を知る場合、辺地の官に変色が観える時は、必ず行き先で変事がある。逆に、美色に観える時は、行き先で吉事がある。以上の「青気が現れ湊う」というのは、つまりは、眉目尻の方から現れ、その青気が辺地へ向かい、湊う様子である。これを、辺地に湊う青気、と言う。しかし、眉目尻から辺地へ湊い届く事もある。さらに、うねるように届く事もある。また、届かなくても、その青気が現れる勢いを観て、相者自身で届いているかどうかを決定する事も多くある。これについては、修業の後、自得すべきである。また、遠方へ行かずとも、遠方へ想いを馳せる事がある時は、以上のように、眉目尻の辺りから気色が現れ、辺地に兆す事がある。この事を心得て、観なさい。
 
そもそも、気色とは、心気(≒心)の動きによって発し、その象(かたち)を現わす。これを気色と言う。本来、「有るが如く、無きが如く」であり、凡人には観え難いものである。ゆえに、一度目は観えても二度目は観えず、離れて観れば有るようだが、近づいて観れば無いように観える。また、精根を凝らして観れば、かえって観えない。無心で臨めば、かえって観える。しかし、観る事が出来るとは言っても、言葉で明らかにする事は出来ない。本当に、有るようで無く、無いようで有る、というものである。よって、気色が観えるか否かという事は、相手側(=観相を乞う者)にあるのではなく、全て己(=相者)にあるのである。己にある心気が清涼であれば(≒清ければ)、天地六合は一度(ひとたび)観ただけで、明らかに出来る。ましてや、人体の小天地を明らかにする事などは、至って容易い事である。逆に、心気が治まっておらず(≒心が安定しておらず)、己の気色が乱れている相者は、たとえ百日間これを観たとしても、ついには観る事も、明らかにする事も出来ない。ゆえに、有相の相者は観相に「晴天」を好むが、無相の相者に至っては「曇天」、「暗夜」であっても、法性(≒天地)の心気(≒心裏)を観抜く事が出来る。つまり、正法眼によってこれを観るゆえに、明珠を掌の内に観るよりも容易く観抜けるのである。この道理を深く考え、相法の心意(しんい)、体用を知りなさい。
*明珠(めいしゅ)…透明で一切の曇りがないものの事。優れた人物。宝石。
 
人は心気を根源とする。天に太陽(=大陽)の一気があり、人はこれを受けて「一元気」と言う。これがいわゆる心(しん)である。ゆえに、心気というものは太陽の一気の事でもあり、一元気の事でもある。これは諸気の源であり、人身の吉凶を定める根源である。よって、相法の太極とする。また、天の太陽の一気を父の脈とする。地の太陰の水は潮(うしお)に応じ、潮は陰中陽火であり、母の血とする。これによって、父母の血脈と言う。血は陰、脈は陽である。ゆえに人が生じる(=生まれる)時は、太陽の気に随って自然と生じる。逆に人が死ぬ時は、太陰の気に随って自然と滅する。これはつまり、人の死生は、陰陽血脈の道理から外れる事はない、という事である。よって、人として懼(おそ)れるべきは天であり、敬うべきは父母であり、慎むべきは己である。
 
日血は太陽の気に随って、自然と巡る。ゆえに、気が健やかである時は血も健やかであり、自然と血色が良い。逆に、太陰の血が衰える時は、気も衰えるため、自然と血色が悪い。よって、陰陽の気が健やかであれば、身体の血気は盛んである、と言える。これがすなわち、心である。また、人は五味によって身体を養うと言う。ゆえに、精液がある。精液は、つまりは血である。血は北方の陰火であり、南方に位置する。すなわち、心の用である。よって、精液が衰える時は血が衰え、血が衰える時は腎が衰え、腎が衰える時は心の光が自然と不完全になる。また、精液が強い者は、腎が充実している。腎が充実している者は、血が充実している。血が充実している者は、心が強い。ゆえに人は、心腎の交代が良いものを吉とする。また、心腎の交代が良い時は、太陰・太陽の気が自然と完全で、その血色も自然と良い。これがつまりは、心である。
 
太陽の気が強く、健やかである時は、身体は自然と盛んである。これを、心(しん、≒芯)が強い、と言う。心は、つまりは気である。これによって、心気と名付ける。よって、心気が健やかである時は、それぞれの気色が良い。ゆえに、心気の容姿を、気色と言う。また、気色が面上に兆す事を、血色と言う。ゆえに、心・気・色の三つがあるとは言っても、元々は太陽の一気から起こったものである。ゆえに、太陽の気が健やかである時は、五気も自然と完全である。
 
そもそも、万物には、悉(ことごと)く陰陽の気が通じており、諸々の相が生じている。例えば、陰陽の気の通じ方が弱い所に生える草木が栄える事が出来ないように、人も陰陽の気が弱ければ、心気は弱い。逆に、心気が強い者はその身体が自ずから健勢で、草木がよく栄えるに等しい。また、心気と言うものは、例えるならば、車の心木(しんぎ、=軸、芯)に等しい。心木が堅ければ、覆倒する心配もなく、岩石の険阻(けんそ、=険しい場所)や千里の道路を越えたとしても、壊れる事がない。人も、心気が強い者は、大山(たいさん)をも貫く勢いがある。逆に、心木が弱い車は、平地三里の道路を走る事さえ危うい。人も、心気が弱い者は、成る事も成らず、自ずと万事において滞りがある。ゆえに、相法は心気を観る事が九分、身体(≒骨格、容姿)を観る事は一分である。心気が強い者の相貌は、大きな家に多くの人が住んでいるのに等しい。逆に、心気が弱い者の相貌は、大きな家に少しの人しか住んでいないのに等しい。また、心気が強い者には血色が現れる事が遅く、心気が弱い者には血色が現れる事が早い。また、心気が強い者は小さな善事は血色に現れず、大きな善事が来る時は、その血色は太陽が東から昇るが如くに現れる。逆に、心気が弱い者は、小さな善事が来れば、たちまちにして血色に現れる。また、大きな善事が来る時は、その血色は驚いたように現れ、自ずと眼神が定まらない。ゆえに、心気が弱い者は血色に変乱があり、判断し難い。また、心気が強い者においては、良い血色は長く残り、悪い血色は早く消える。
*心木(しんぎ)…心棒とも。車輪の軸となる棒の事。この当時の車は、現代の車とは異なるので注意。現代的の車で言うと、アクスルシャフトにあたる。ここでは心気、芯木などと掛けていると思われる。
 
気色によって相する事を観相(かんそう)と言い、血色によって相する事を看相(かんそう)と言う。そして、骨格によって相する事を見相(けんそう)と言い、心気によって相する事を無相(むそう)と言う。また、骨格はその道に入って見る事が出来るのが早く、血色はその道に入って、しばらく経ってから看る事が出来る。さらに、気色はその道に入ってしばらく経っても、自得する事は困難で、心気に至っては、その道に入って年功を積んだとしても、観る事は出来ない。もし、この心気を観たいと思うならば、「銕舩銕風(てっせんてっぷう、≒動かすことのできない船と風→しっかりとした基礎、正しき基礎、堅実な基礎)」を知りなさい。 

《殺伐気色の弁(図33参照)》

↑図33

これを殺伐の気色と言う。前述したように、剣の刃文(はもん、=剣花、匂)、剣の(つば)の如く現れる気色である。しかし、図のように、大げさに現れるものではない。ただ、その気色の貌(かたち)のみを、大まかに図示しただけである。この気色は、殺伐(さつばつ、=殺人)に遭う人全てに現れる。この気色が現れる時は、殺伐からは逃れ難く、必ず家督(≒財産)を失い、一命を亡ぼす(=死ぬ)。また、数万の敵に攻められ、殺伐に遭う場合も、この気色が現れる。なお、軍中においてこの気色を観る場合(≒軍人の殺伐の気色を観る場合)、細々(こまごま)とした口伝がある。殺伐の気色は前述したように、剣の刃文、剣の鍔の如く現れる。図のように、気色の根元が太く、短く潜む(≒隠れる)ように、勢いを含んで現れる時は、殺伐の難があるとは言っても、すぐに遭うわけではない。この気色が現れる頃から適確に行動する場合は、自ずと免れる事が出来る、と判断する。 

《起怒骨(きどこつ)の事(図34参照)》

↑図34

起怒骨は、左右の害骨に強く現れる。つまり、飲食に起り、強い怒りを表す。口伝がある。
*害骨(がいこつ)…耳の下の部分。下顎骨の付け根あたりの部分。腮骨(さいこつ)、腮(えら)。
*原文には、起怒骨について詳しく記されていないため、実際にどういうものなのかがわからない。今後、研究を深め、追記する。 

↑図35

この図を、必死の気色と言う(図35参照)。前述したように、剣の刃文、剣の鍔の如く現れる。気色の根元が細く、乱れず、勢いを含んで現れる時は、死を覚悟した敵がいて、必ずその敵によって一命を失う、と判断する。殺伐の気色、起怒骨と同様に、この三つの気色は、私の秘奥(ひおう、=奥義)の相法であり、未だ門人にも伝えていないが、今回、その十の内の一つを書き記し、以上の通り明らかにした。
 

南北相法後篇 巻ノ五 大尾

門下名録(水野南北門人) 

*「内撰」数と実記数が異なる部分があるが、原文のままに記した。
 
京都門人 十六人 内撰二人
田中伊織 
 
東都門人 五十二人 内撰八人
南龍斎風素 中新井竜成 長谷川甚蔵 丹羽四郎五郎 山口良助 遠山万作喜 上嶋采女 片田弘人正
 
浪華門人 百六十四人 内撰二十一人
大顴堂南嶽 南翁軒免石 水野化蝶 杉本北山 森主北 尾嶋正安 五柳軒古楽 村上水我 藤井南海 淺井南生 赤穂太助 辻井利右衛門 山嵜市右衛門 奈良林要玄 加藤良助 湊忠兵衛 辻太郎兵衛 白水軒 朝日多門 琴松舘青北 木村伊兵衛 川嵜恒七 井上要藏 栗岡陸奥正 
 
池田門人 十五人 内撰四人
吉田佐治右衛門 北浦茂兵衛 中村夲三郎 吉村正元
 
兵庫門人 十一人 内撰一人
藤縄金兵衛
 
尾刕熱田・名古屋門人 三十九人 内撰七人
大原舎人 松岡治部 岡本作左衛門 嶌本徳太郎 藤江宋女 吉川玄琢 森渡
*「刕」は「州」の意である。
 
上総国門人 十三人 内撰二人
木之内繁藏 失卷香貫
 
下総国銚子門人 三十三人 内撰六人
信太権之烝 信田権右衛門 信田清左衛門 寺井七郎右門 明雲院日威 明雲院英源
 
三刕岡嵜

福井要助 
 
出羽坂田門人 十二人 内撰一人
井上花月
 
越後今町水原門人 三十七人 内撰五人
飯村楯平 熊倉伴司 熊倉岩松 穴澤忠治 真栖宇門 
 
越中富山門人 三人 内撰二人
神谷吉五郎 中村平左衛門
 
越前敦賀府中門人 四十三人 内撰六人
河端内藏 山東小十郎 澤井柳兵衛 村田嘉兵衛 高林寺 真禪現住恵乘
 
加刕金澤大聖寺門人 三十九人 内撰三人
和田左衛門 田中與三左衛門 尚古軒
 
丹後宮津峯山門人 十二人 内撰二人
田中佐門 平野玄難
 
因幡鳥取門人 二十九人 内撰四人
吉岡興勝 小西吉右衛門 北村辰三郎 淺見重治郎
 
伯耆米子門人 十八人 内撰二人
快常房 金寶蘭若真浄
 
出雲城下門人 三人 内撰二人
瀧周助 田中玄真
 
石見太田銀山門人 四人 内撰二人
小鹿傳二郎 多田玄伯
 
但馬生野銀山門人 二十八人 内撰三人
西寶寺芥山 神通寺長橋 小田切林藏
 
播刕赤穂姫路・安田明石門人 十二人 内撰二人
津田嵜藏 松浦専平治
 
備中倉敷門人 三人 内撰二人
玄賦亭 芲陽軒
 
備前岡山門人 三人 内撰二人
小堀兵太夫 柴田榮玄
 
備後福山門人 六人 内撰二人
山岡善助 北村兵庫
 
安藝廣島門人 六人 内撰二人
久保丈助 太田庄兵衛
 
周防岩國門人 三人 内撰一人
山崎玄之進
 
長門城下門人 二人 内撰一人
本田勝太夫
 
紀刕若山新宮・本宮門人 九人 内撰三人
武田真治 野口慶助 谷橘州
 
阿波徳島門人 七人 内撰三人
吉田獏遊 眉山亭随太 米荷堂
 
讃岐金毘羅・高枩門人 三人 内撰二人
秋山直記 佐々木勝之進
 
筑前福岡唐津・山鹿門人 十二人 内撰二人
坂尾平兵衛 千町弥三郎
 
豊前小倉中津門人 六人 内撰二人
谷三右衛門 加来直兵衛右または加来西北
 
肥前長崎門人 二十一人 内撰五人
長江郡兵衛 東泰亮 上村寛之 石井實五郎 山口源三郎 
 
肥後熊本門人 七人 内撰二人
大橋外記 池田宋女
 
薩摩鹿兒島門人 三人 内撰二人
多田玄真 松岡喜兵衛
 
和泉国岸和田堺・槇尾門人 八人 内撰二人
寳泉院 芭蕉軒
 
伊勢亀山・四日市門人 五人 内撰二人
田邊嘉兵衛 伊藤清兵衛
 
美濃岐阜大垣門人 八人 内撰一人
片桐重右衛門
 
高野山門人 十一人 内撰三人
借間大教 福井要助 織田清二郎
 
飛騨高山門人 五人 内撰二人
鈴木一角 斎藤内藏
 
奥刕仙薹・岩城塩釜門人 十五人 内撰三人
達古快立 正月堂別當 小野寺善藏
 
南翁軒門人 百七十一人 内撰十四人
川口文学こと南府亭 吉田満山 泰政二郎 松下主水 豊田東馬 折原左門 長尾新吾 (西宮住)高橋道一 小林金藏 (高砂住)松下新平 (江戸住)小西九兵衛 淺見才助 (越後住)伊藤道右衛門 高橋栗八
 
矢抦梅雪有故破門門人 百二十一人 内撰五人
山口梅月 萩原東明 木村都南 (三刕)鈴木陸奥 (南都)青木佐兵衛
 

名録終
 
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