南北相法後篇 目録

巻ノ一 目録
一 面部二十一穴の部
一 面部七穴の図
一 額の部
一 福堂(ふくどう)の部
一 顴骨(けんこつ)の部
一 命宮(めいきゅう)の部
一 鼻の部
一 法令(ほうれい)の部
一 食禄(しょくろく)の部
一 妻妾(さいしょう)の部
一 命門(めいもん)の部
一 眼・男女宮の部
一 魚尾(ぎょび)・奸門(かんもん)の部
一 天中(てんちゅう)・官禄(かんろく)の部
一 日月(じつげつ)・印堂(いんどう)の部
一 唇・承漿(しょうしょう)の部
一 駅馬(えきま)の部
一 面色の部
一 風当(ふうとう)・地庫(ちこ)・頤(おとがい)・胸・盗官(とうかん)の部
一 気色位の事
 
巻ノ二 目録
一 血色の部の論弁
 
巻ノ三 目録
一 血色の部、八色の弁
一 二十一穴の図
一 血色の潤いの有無を論ず
一 七穴の図
一 血色の出生を論ず
一 血色の潤いの有無を論ず
 
巻ノ四 目録
一 月割・日割の弁
一 月割の図
一 月の割様を弁ず
一 月の吉凶を弁ず
一 日割の図
一 日の吉凶を弁ず
一 四季の図
一 当時の方角の図
一 万法の方角の図
一 方角の穴所を弁ず
一 方角の吉凶
一 正五九月の図
一 二八月の図
一 他身の五臓の吉凶・死生を弁ず
一 家宅の弁
一 流年の吉凶の事を弁ず
一 流年の四季、十二か月を弁ず
 
巻ノ五 目録
一 気色の湊走る様を弁ず
一 気色の湊走るの図
一 交同の気色の図
一 交齬の気色の図
一 羅色の図
一 待人の来る、来ないを論ず
一 旅行・道中・行先の吉凶を論ず
一 殺伐の気色の弁


南北相法巻ノ六(南北相法後篇巻ノ一)

水野南北居士 著

 《自序》

 道は人を待って広まる。道は自然に広まるものではない。先王(せんのう)の道は、孔子によって隆盛したに等しい。釈迦の道は、瞿雲(くどん)によって繁茂したに等しい。この相道(そうどう)も、「その人」が存在しなければ、広まることはない。古人は相道がどういうものなのか、明らかにしてこなかった。よって、孔子は子羽を観損ない、太史公は李陵を想い違った。また、荀子の論弁や南華の見識も、相道を知らなかったことによる誤りである。
 
 私は幼少から書を読むことを嫌い、悪行を治めようともしなかった。元来私は愚才短蒙で、一字を解すことも出来なかった。かつて海常先生に随(したが)い、『神相全編』の要点を聞くことわずか二、三日。それでも心に得たものは思いもまた深く、以来長年、相法に心を寄せることになったのである。しかし、私は一字も知らぬ者であったゆえ、世の多くの相書も読めず、師を求めることもなく、ただ思いを工夫するだけであった。そうするだけでも、わずかながら得るものがあったように思う。
 
 その後、私は実地で衆人を観相したいと思うようになり、「相者」に身を(やつ)し、諸国を歴遊した。しかし、私は生まれながらにして容貌が卑陋(ひろう)であり、特に当時は非常に醜(みにく)かった。したがって、どこへ行っても、一人として私に観相を請う者はいなかった。何とかして観相したいと強く思っても、受け入れてくれる人がいなければ、どうすることも出来ない。そういうわけで、だんだん私は零落(おちぶ)れて、「一宿の謝」、「一飯の報」に換(か)えて人を観相するようになり、約十年が過ぎた。これによって、多くの観相を遂げることになり、大いにこの道を明らかにすることが出来た。未熟ながらも、古人、今人の言うところを理解することが出来たのである。
 
 世の中に吉凶の変化がある時は、天に日月星辰(じつげつせいしん)の順逆がある。それは地に山川草木(さんせんそうもく)の栄枯があるに等しい。また人は、「小天地(≒小宇宙)」であるゆえ、吉凶があればその変化が必ず相に現れる。これは自然の道理である。さらに、天地の変化といえども、その国君(≒君主)の徳、不徳によって、凶が吉となり、吉が凶となるという理がある。私は衆人を観相して、この事を知得(ちとく)した。初めて、血色、流年(りゅうねん)の事を悟ったのである。南北相法前編では、このことについては言及していなかったが、後編においては、同好の士(ひと)に示すつもりである。
 
 私の曖昧不才は、人の知るところである。然らば、己(おのれ)の不文を恥じることもあるまい。理解ある人は、私の固陋(ころう)を厭(いと)わないはずである。私がこの道において、たいそう多くのものを得ていることを知ったならば、かの道は「人を待って広まる」であろう。私はこのことを辱(かたじけな)く思うが、どうして止めることが出来ようか。いや、出来るはずがない。 

享和壬戌(1802年)十一月 南北撰

 

↑歌川広重『順慶町夜見世之図』。画像左上、筮竹と台灯篭を前に座る、虚無僧姿の人物がみえる。「画相」や「気・血色」は、行灯(あんどん)の淡い明りで観易くなると言われており、当時の人相観は好んで夕暮れ後の街頭に現れたと思われる。また、人相観は隠者(裏方仕事人)ゆえ、暗くなってからヒッソリと活動するのが当時の道理であった。現在のように煌びやかに着飾ったり、メディアで頻繁に露出して騒ぐ輩は、真の人相観からはほど遠いと言える。真の人相観は、画像の虚無僧のように、ヒッソリと佇(たたず)んでいるのがよろしい。ちなみに、画像右上に描かれている暗雲は、浮世絵における「夜」のメタファーである。

*この序文を読むと、南北相法前編刊行後、12年の歳月を経て後編が刊行された事がわかる。この当時、南北翁は推定43歳。
*先王(せんのう、せんおう)…先代の王。昔の聖王。
*釈迦…古代インド、ヒマラヤ山麓のネパールに居住していたとされる、一部族の呼称。また、仏教の開祖、釈尊の別称でもある。
瞿雲(くどん)…サンスクリット語のGautama(ゴータマ)から。釈尊の俗称。悟りを開く前の釈迦。
*子羽…孔子の弟子の一人。容貌があまりにも醜かったため、孔子は、子羽には才能がないと観誤ったと言われている。
*太史公…司馬遷の自称。
*南華…南華真人。荘子(荘周)の事。
*「相者に身を(やつ)す」…時、相者(人相を観る者)がどういう身なりをしていたのか、定かではない。しかし、相者はいわゆる「隠者」であり、どちらかと言えば、托鉢僧に近い身なりであったのではないかと思われる。その証拠に、歌川広重が残した「順慶町夜見世之図」には、「人相」と書かれた台灯篭を前に座る、虚無僧姿の男?が描かれている。ちなみに、「順慶町夜見世之図」は『東海道五十三次』の後に発表された『浪花名所図絵』の一つであるから、南北翁が人相術を世に広めたのと、ほぼ同時期の作品だと思われる。さらに、『浪花名所図絵』は広重が天保三年(1832年)に上洛した後に発表したとされているため、南北翁が亡くなる前(天保5年以前)の浪花の様子を描いている可能性もある。また、「順慶町」は当時の浪花を代表する繁華街であり、浪花は南北翁の本拠地でもあったため、描かれている虚無僧が南北翁の教えを受けた者である可能性も、否定出来ない(南北相法序文には、「天明八年(1788年)、予(よ)、三十四歳にして観相を止(や)め、隠遁(いんとん)を楽しむ」という記述があるため、描かれた人相観が南北翁自身である可能性は低い。)。
卑陋(ひろう)…性質、行動などが卑しく下品な事。
固陋(ころう)…古いものに執着し、新しいものを受け入れない事。頑固、かたくなである事。
 

《血色の部》

一 水(みず)は陰であり、血(ち)を生ずる。すなわち、母である。
 
一 火(ひ)は陽であり、脈を生ずる。すなわち、父である。
 
一 地は陰であり、血を生ずる。すなわち、母である。
 

一 風(かぜ)は陽であり、脈を生ずる。すなわち、父である。

↑「人身禀生図(じんしんしょうをうけるのず)」

↑「四大(しだい)」 

人には生まれながらにして、地水火風の四大(しだい)がある。これは、大天地が万物を生育する元である。人はこの地水火風の血脈によって生ずる。ゆえに、人は生まれながらにして、天地陰陽の気を禀(うけ)、地水火風の四徳を身に備えている。また、陰中に火(ひ)があって陰陽が交合する時は、陰火と陽火が混じり合うので、これを「一元気(いちげんき)」と言う。さらに、これを「人心(じんしん)」とも言う。「人心」は、小天地(=人)が万事をなす元とする。ゆえに、「人心」に悪相はない。これはつまり、大天地と同じ徳を備えているがためである。そして、意(こころ)を生ずる。例えば、心(しん)は大将の如し。意は士卒(しそつ)の如し。心は体(たい)、意は用(よう)である。体(たい)は本(もと)であり、用(よう)は末(すえ)である。それはまるで、「影」が「形」に寄り添うに等しい。つまり、心は形であり、意は影である。ゆえに、意を空(くう=無)とする。意は「物」に觸(ふれ)ることで、悪に染まりやすくなり、動揺しやすい。だが、心は「人身(じんしん)」の大極(=太極、たいきょく)であり、動くことはない。したがって、意が動くところによって、相貌に変化が現れるのである相法では、その変化をもって、吉凶を察する。これは相道に入るための、第一路の要である。

↑「人身五徳備図(じんしんごとくそなわるのず)」

*四大(しだい)…仏教用語で、物質界を構成するとされる、四つの元素の事。また、人体を構成するとされる四つの元素の事。
*四徳…天地が万物を育てるとされる、四つの徳の事。元(春、仁)、亨(夏、礼)、利(秋、義)、貞(冬、智)。または、人倫における四つの徳の事。孝、弟、忠、信。または、涅槃における四つの徳の事。常、楽、我、浄。
*士卒(しそつ)…ここでは、大将に対して、兵隊の意。
*大極(たいきょく)…太極とも。『易経』にみられる用語で、宋学の宇宙生成論で重視されていた概念の事。また、「気」の原初の形で、万物生成の根源となる本体、「宇宙」の本体であるとされる。それ自体には形も動きもなく、ただ陰陽の二元が生ずるところとされる。イメージとしては、陰陽が入り混じり、混沌とした原始(いわゆる「ビッグバン)以前)の宇宙などに例えられるかもしれない。だが、大極とは、実際は陰に偏った状態であろうと、私は考えている。なぜなら、宇宙が始まる前の闇は「陰」であり、生物が生まれた原始の海も「陰」であり、陸上生物が生まれる大地も「陰」であり、人を産み出す女性も「陰」であり、また、人は「陰(闇)」に生まれ、「陰(闇)」へと死にゆくからである。
 

《常色を論ず》

春、青気(せいき)は辺地(へんち)の周辺にあり。少し潤(うるお)いあり。
夏、青気は上停(じょうてい)にあり。衰えて潤いなし。
秋、青気は中巡から地閣(ちかく)・奴僕(ぬぼく)の方向にある。
冬、青気は下巡から三陰三陽(眼の周辺)にあり。潤いがあって、多くは左にあり。
 
春、黄気(こうき)は口を取り巻き、枯れて潤いなし。
夏、黄気は中巡から地閣・奴僕の方面にあり。
秋、黄気は上巡から土星(=鼻)左右の際にあり。
冬、黄気は額の左右にあって、少し潤いあり。
 
春、赤気(しゃっき)は顴骨(けんこつ)にあり。少し潤いあり。
夏、赤気は中巡から妻妾(さいしょう)・命門(めいもん)にあり。少し潤いあり。
秋、赤気は眼中の白仁(しろたま)にあるべし。
冬、赤気は中巡から顴骨・土星にあり。
 
春、黒気(こっき)は上巡から家続・男女の方面にあり。多くは右にあり。
夏、黒気は地庫の周辺にあり、上停の方面に流れる。
秋、黒気は中巡から命門の周辺にあり。
冬、黒気は中巡から上停にあり。少し潤いあり。
 
白気は四季の土用(どよう)に変動するため、観定め難い。私は色々と心魂を凝らし、白気の常色を観ようと試みたが、未だに観止めることが出来ない。将来の相師が白気の常色を明らかにすることを願う。
 
上記の気色については、常色と言って、誰にでも常に現れている気色のことである。つまり、常色で善悪については判断しない。未熟な相師は、この常色を観て、場合によっては善悪・吉凶を判断してしまう。さらに、結果的に吉凶の変化がなければ(変化がないのは当然のことだが)、「気色・血色は当てにならない(当たらない)。」などと、大いに相法を非難する。これはつまり、己の心意両眼(しんいりょうがん)が上達していないことが原因である。よって、このような輩が属する流派では常色について詳しく論じる、という過ちを犯すのである。
 

《面部二十一穴の図(それぞれの部位は図を参照のこと)》

天陽(てんよう)・高広(こうこう)・天中(てんちゅう)・主骨(しゅこつ)・日月(じつげつ、=日角、月角)・辺地(へんち)・山林(さんりん)・福堂(ふくどう)・諸友(しょゆう、=交友)・兄弟(けいてい)・奸門(かんもん)・妻妾(さいしょう)・男女(だんじょ、=涙堂)・顴骨(けんこつ)・命宮(めいきゅう)・土星(どせい)・食禄(しょくろく)・法令(ほうれい)・承漿(しょうしょう)・奴僕(ぬぼく)・地閣(ちかく)

↑「面部二十一穴之図」 

《面部七穴の図》

神光(しんこう)・官禄(かんろく)・駅馬(えきば)・印堂(いんどう)・家続(かぞく)・魚尾(ぎょび)・左身右身(さしんうしん)

↑「面部七穴之図」 

この書は初学者のために、中流階級以下の人の相を中心に論説している部分が多い。だが、もし貴相と賤相が混じっている相で、例えば貴人から重用される血色があっても、その人が卑賤・無芸・無能であり、明らかに貴人に接する道理がなければ、「富家に出入りすることがある。」と判断する。また、貴人(=金持ち)に餓死する血色があっても、世の中が安定した情勢であれば、「難病などで食べることが出来なくなる。」と判断する。さらに、武士に転職の血色があったとしても「転役(=役職が変わること)がある。」と判断し、出家者に転職の血色があっても、「改宗(=宗派を変えること)あるいは還俗(げんぞく=出家をやめること)する。」と観る。すべては、このように各々の相に準じて応用し、貴賤老弱の品格をしっかりと観定めて判断しなければならない。
 

《額の一面に平坦の潤いあり。また、天陽から印堂に黄潤(こうじゅん)が下る。この場合は必ず貴人から召し出され、重用される(図1参照)》

↑図1

始めは曇ったように観えるのだが、しばらく観ていると太陽が昇るようにだんだんと勢いよく観え、自然と潤いがある状態を、「平坦の潤い」と名付けた。貴人から実際に指名が入った後は完全な潤色となるゆえ、誰にでも観ることが出来る。このように、血色があって黄色(こうしょく)が口を取り巻く時は、貴人からの賞与(=臨時収入)がある。この黄色も前述の如く、実際に賞与をもらうまでは曇ったように観え、その後自然と黄潤となるのである。
*重要なのは、艶(つや)があるか否かの判断である。その事が実現に近付くほど、雲間から太陽が覗くように、艶が表出しやすくなるのである。
 

《天陽から官禄に黄潤が下る。また、黄色(こうしょく)が口を取り巻く時は、必ず近日中に加禄(かぞう=臨時収入)がある(図2参照)》

↑図2

額は自然と晴れやかである。だが、口を取り巻く黄色は加禄があるまでは曇ったように観える。加禄を賜った後、黄潤となる。また、天陽から官禄に美色が下りる時は、必ず主君(=主人、上司)から特別に待遇されたり、官職に任命されることがある。非常に良い。もし、この血色が浪人に現れる時は、古主から再び官職に任命されることがある。
 

《額に蒙色(もうしょく)あり。また、命宮から白気が上停に上る。この場合は必ず主君に諫言(かんげん、=意見する)気持ちがある(図3参照)》

↑図3

また、天陽・主骨の周辺に蒙色が著しく観える時は、その主君には意見を聞き入れてもらえない。だが、天陽・髪際(はっさい)に潤気(=艶)が観える時は、意見を聞き入れてもらえる。第一には、潤気に勢いがあるのを吉とする。もし、聞き入れられない血色のほかに、食禄から発した黒気が法令の外へ飛び出している時は、必ず主君に意見したことが仇(あだ、=害)となり、家督(≒地位)を捨て、浪人(≒無職)となる。さらに、聞き入れられない血色のほかに、顔一面に青暗い色が広がっていたり、三陰三陽(=眼の周り)に暗気が貫くように現れた時は、諫言した後、必ず自殺する。蒙色とは、まずは曇ったような色であると心得なさい。
 

《天陽から青気(せいき)が官禄に下り、顴骨を暗気がおおう。この場合は必ず主君から閉門にされる(図4参照)》

↑図4

また、天陽・顴骨が何となく曇ったように観える時は、差控(さしひかえ)がある。右の天陽から下る青気は蒙色のように観える。
*閉門…江戸時代、武士や僧侶に科せられた閏刑(じゅんけい)の一つで、いわば監禁の刑。門、扉、窓などを閉ざして昼夜とも出入りを禁じた。蟄居(ちっきょ)よりも軽く、逼塞(ひっそく)よりも重い刑であるとされた。
*閏刑(じゅんけい)…江戸時代、武士や僧侶、婦女、老幼、身障者などに科せられた刑罰のこと。正刑(本刑)に比して寛大な処置がとられた。
蟄居(ちっきょ)…江戸時代、公家と武士(士分以上の者)に科せられた刑罰の一つ。出仕・外出を禁じ、閉門した上で一室に謹慎させた。終身蟄居させる場合もあり、この場合は永蟄居といわれた。
逼塞(ひっそく)…江戸時代、武士や僧侶に科せられた閏刑の一つ。門を閉ざして日中の出入りを禁じた刑。夜間に潜戸から目立たないように出入りすることは許された。三十日と五十日の二種があった。閉門よりも軽く、遠慮より重い謹慎刑。
*遠慮…江戸時代の刑罰で、逼塞と似た刑。逼塞よりも軽い謹慎刑。
*差控(さしひかえ)…江戸時代の刑罰の一つ。公家や武士が、出仕を禁じられて自宅謹慎となった。
 

《命宮から蒙色が昇り、官禄の穴所を囲む時は、必ず主君を必死の状況から助ける》

以上の蒙色は、命宮から昇って官禄の左右へ散るように広がり、官禄の穴所を囲むように現れる。また、眼中が鋭く、血走るようで、自然と殺伐とした気が観える。さらに、天陽・主骨の辺りに暗気がある。蒙色とは、まずは曇ったような色であると心得なさい。
 

《命宮から暗気が昇り、官禄の穴所を囲み、上停に赤紋(しゃくもん)が現れる。この場合は必ず主君を必死の状況から救うが、己の必死は逃れ難い(図5参照)》

↑図5

顔全体の色(=面色:めんしょく)が暗く曇っていて、眼中が鋭く、激しく怒っているように観える。また、赤紋は重なって(ねじれ)たようにして、山林・辺地の辺りに多く現れる。第一には天陽・主骨の辺りに暗気がある。
 

《一面(=顔全体)に暗蒙(=暗気)を現し、上停に赤紋が重なって現れ、眼中が鋭く、激しく怒っているように観える。この場合は必ず戦って(争って)死ぬ》

以上の暗蒙とは一面が暗いようで、青ざめたように曇ることを言う。また、赤紋は重なって紾(ねじれ)たように現れる。
 

《天陽から官禄に黒気が下り、また、命宮から官禄に蒙気が昇り、さらには黒気が三陰三陽に現れる。この場合は、主君の為に己の命を捨てる(図6参照)》

↑図6

青暗色が一面を覆(おお)う。また、命宮から官禄に昇る蒙気には、自然と潤いがある。三陰三陽とは、眼の上下・左右(髪際まで)の範囲のことを指す。この部位の一面に黒色(こくしょく)が現れる。蒙気とは、まずは曇ったような色であると心得なさい。
 

《鼻に暗色。下停・辺地に土色(どしょく)。また、印堂から辺地に暗色が走る。この場合は必ず、近日中に路上で死ぬ(図7参照)》

↑図7

辺地には土色が甚だしく現れる。また、暗色が鼻一面を覆う。さらに、下停一面にも土色を現わし、特に口の周りの土色が甚だしく現れる。その土色・暗色は共に淋しい感じで、まさに路上に倒れんとするが如き血色に観える。
 

《官禄から命宮まで美色がある人は、必ず陰徳を積む人である(図8参照)》

たとえ陰徳ではなくとも、人命を救うほどのことをすれば、たちまちこの血色が現れる。また、この血色は万悪の敵(かたき)であるゆえ、他に悪色があったとしても、この血色があれば「悪い」とは判断しない。だが、世の相者においては及ばざるところであり、陰徳忠孝は相師の敵になってしまっている。

↑図8

*この相に加えて、涙堂(=下まぶた)がぷっくりと膨れ血色が良ければ、確実に陰徳を積む人である。逆に言えば、この相が無い上に涙堂の血色がドス黒ければ、腹黒く、不平不満が多かったり、悪銭を稼いでいたり、悪事を重ねる輩である可能性が高い。また、泌尿・生殖器に異常があったり、下半身が慢性的に冷えていたり、精力を乱費していたり、不妊症であったりしても、涙堂の血色は悪化する。ちなみに、古典的なマンガでは、ギャングや悪徳政治屋など悪役の下まぶたはドス黒く描かれたりする(特に手塚治虫氏のキャラクター)が、あれは人相術的にみても正しい。優れた芸術家は、往々にして観察眼が鋭いものである。
 

《額の部》

《額が潤(うるわ)しく光っている場合、大きな辛労がある。望みごとは一つとして成就し難い。また、心が不安定である》

額が明るく、曇りがなく、例えるならば油を塗ったようにテカテカと光っていることを指す。この潤光が去って、血色が悪くなるにしたがって、自然と運が良くなる。この相の人は、一見すると顔一面に曇りがなく血色が良いように観える。この逆説的な理(ことわり)については後篇巻ノ二に記す。
*基本的に、額が晴れやかに光って観えるのは、万事がうまくいっている相である。しかし、中庸という言葉もあるように、人相術においても「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、度を過ごした相は凶である。初学者や修養の足らぬ者は観誤らないように注意すべし。ちなみに、後篇巻ノ二には「上帝(=上停、額のこと)明らかにして、油を塗りたる如く光ある者は大いに凶にして、万事調い難し」とある。この文章の詳しい解説は後篇巻ノ二を参照。
 

《額の左右が黒くとも、必ず凶とは限らない。相応の福分がある。しかし、大いに辛労があり、人を世話することが多い》

以上の「黒」は、焦げたように観える。だが、黒い色の中に自然と潤いがある。第一には、額の中央は黒くなく、自然と晴れやかである。また、大難があって額の左右が黒くなっている者がいるが、この場合の「黒」は淋しく、汚らしく観える。
 

《額が曇り、額に「~」のような赤筋(あかすじ)が現れ下る時は、必ず近日中に剣難(突発的な事故など)がある。ただし、刃物によって死ぬわけではない(図9参照)》

↑図9

以上の「額が曇る」というのは、例えるならば寒い時に毛穴が立つように観えるものを指す。また、「赤筋」というのは、「赤」という正色ではなく、血の色のように観えるものを指す。それは髪の毛ほどの太さ、四、五分(約1.5cm)ほどの長さで現れる。髪際から現れて下ることもあり、印堂の辺りに現れることもある。ほとんどの場合は山林・辺地の辺りに現れる。
 

《額が曇り、額の左右に赤色(しゃくしょく)があり、印堂に赤色が昇る。この場合は必ず災い(主に火難)がある(図10参照)》

↑図10

以上は額が枯れたように曇っている。山林・辺地・福堂の辺りに薄い赤色が散ったように現れる。また、印堂に薄い赤色が散ったように昇る。この血色は火に驚く(火災に遭う)時にも現れる。いよいよ火難に遭う時は、「住居」が大いに混雑して、動く血色が現れる。福分を失う血色が甚だしく現れることもある。このことを踏まえた上で観なさい。赤色は、実際に火難に遭う四、五十日前は皮膚(皮肉)の下に隠れているので観定め難い。火難が近付くにしたがって観やすくなってくる。火難、剣難を知るための奥義は、前篇の「骨格の部」に記した。
*住居…地閣の別名。ちなみに、この部位に蒙色その他の障害があると、自宅(特に自分の部屋)が汚れていたり、片付いていないと観る。
 

《額と頤(おとがい=顎)に潤いがなく、曇り、土星(=鼻)と顴骨がくすぶったように曇る。この場合は地位や全財産を失うか、生活が行き詰まるほどの災難がある(図11参照)》

↑図11

以上の「額と頤が曇る」というのは、蒙色が現れることを指す。また、「くすぶる」とは、暗色が現れることを指す
 

《額の左右に黄色(こうしょく)の曇りがある場合は、必ず愁(うれ)い事がある(図12参照)》

↑図12

黄色は額の左右、山林(さんりん)・辺地(へんち)・駅馬(えきば)の辺りに現れる。総じて、愁いの相は山林・辺地・駅馬の辺りから、横面(よこがお)にかけて現れ、淋しく観える。例えるならば、地が荒れたように、寒い時に毛穴が立つように観える。以上の「黄色の曇り」とは、黄蒙色が相混じって現れることを指す。一見すると、青色(せいしょく)のように観えるが、その本体は黄色である
 

《湿病(しつびょう)がある人は、額が暗く曇る。もし、その病状が悪化しているにも関わらず曇りが晴れることがあれば、必ず死ぬ。病人の額が快方に向かうにしたがって次第に晴れてくる場合は、その身体が健康になってきており、命には別条がないと観る。ゆえに、湿病のある人の額が暗く曇る時は、必ず病が治るのが遅い》

 

《福堂(ふくどう)の部》

《福堂のあたりに、A図のような赤色(しゃくしょく)がある場合は、大いに辛労があって、思い通りに行かないことが多い(図13参照)》

↑A図

↑図13

以上の赤色は、額の左右、福堂の辺りを指で皮膚を引き広げて観る。そうすることで、はっきりと観ることが出来る。この赤色は、薄皮の内にある赤色である。よって、皮膚を強く引っ張りながら観なさい
 

《福堂に黒色(こくしょく)がある場合は、大きく道を誤り、破産する人である》

以上の黒色は、小指の腹で押したほどの大きさで、幽(かす)かに観える。また、破産する前は福堂の肉が枯れたようで、自然と曇って観える。破産した後、黒色となる。しかし、破産の程度が軽い人は、福堂に現れない。大きく破産し、その後も発展がない人には、黒色がいつまでも残って現れている。以上の黒色は、八カ月も愁い事が続いている人に現れている黒色と観間違いやすい。第一に、この黒色は愁いの内容によっては、現れないこともある。
 

《顴骨(かんこつ、けんこつ)の部》

《顴骨の後ろから地庫の辺りまで美色がある場合は、後見人となる(図14、15参照)》

↑図14

↑図15

以上の美色とは、潤気(=潤色)のことを指す。顴骨の後ろから地庫の辺りは満面(=正面)の後ろに位置するゆえ、「陰(いん)」とする。後見とは人の後ろに立って万事を謀るので、後見と言う。たとえ己の地位が衰えようとも、後見の家が盛んである時は、以上の血色も盛んである。だが、後見の家が衰える時は、以上の血色もそれにしたがって衰える。もし、後見人とならない人に以上の血色が現れた場合は、陰(かげ)で良い事があると観る。
 

《顴骨の後ろから地庫の辺りまで暗色がある場合は、外面的には良いように取り繕っているのだが、他人の知らぬ所での辛労が多い》

以上の「暗色」は、燻(くすぶ)ったように観えたり、蒙色のように観えたりする事もある。あるいは、淋しく大地が荒れたように観える事もある。念のため、後見人でないかどうか確認しておくべきである。
 

《顴骨の後ろに赤色がある場合は、心中に辛労が多い。万事思い通りに行かない事が多い(図16参照)》

↑図16

以上の血色は赤色、暗色が相交わって現れる。よって、赤黒く観える。また、命門の前、髪が生え下がった外際に現れる。およそ一寸(約3cm)ほどの長さで、縦に散ったように色濃く現れる。
 

顴骨の上に黒色がある場合は、妻縁が薄い。また、妻がいる人は妻と不仲で、常に夫婦間での口論が絶えない。これを「女労(じょろう)の相」と言う》

以上の「黒色」は、顴骨の上、目尻際の下に現れる。左右とも、常に現れる。また、眼の下から顴骨まで、黒くつながって現れる事もあるほとんどの場合、顴骨が高い人に現れる相である。俗に、眼の下が黒い者は淫乱であるとは言うが、必ずしも淫乱とは限らない。つまり、肝気が強いゆえの、物事において性急な人である。よって、この人はイライラして心が動揺するとたちまち、眼の下に黒気を生ずる。これはすべて腎気が薄く、肝気が高まっている事が原因である。
*五行説において、肝(≒現代医学における肝臓)は怒り、青色を司るとされる。
*「顴骨の高い人に多く現れる」…顴骨が目立って高い人は、肝の勢いが気質的に強い。「三型質」で言えば、「心性質」にあたる。男性において顴骨が適度に高いのは吉相だが、女性においては凶相であり(特に前方に高く張る場合)、攻撃性の強い相、ヒステリーの相、後家相であると観る。中世ヨーロッパでは、ヒステリーは「性器がグルグル回る病気」であるとされたらしいが、人相術では「ヒステリー≒欲求不満≒淫乱」であると観る。現代医学的に言えば、顴骨が高い女性は自律神経を失調しやすく、情緒不安定になりがちである。その証拠に、自律神経の根元である背部の筋肉がガチガチである(ゆえに私は背中に鍼を刺し、自律神経の安定を促す→刺鍼により、ある程度の性質改造は可能)。ちなみに、人相術における青色は、前述したように肝を象徴する色であるが、肝はまた五行の「木(もく)=成長期、成長過程」をも象徴し、「青色=未熟」であると観る。つまり、自然界においての青色が未成熟の色であるように、人相術においても青色は「未成熟、未完成、幼児性」を暗示するのである。例えば、珀(=眼球の白目部分)に青筋(=静脈)が浮いていたり、珀全体が青みがかっている女性(男性も同様)は「熟(う)れて」おらず、処女(男性は童貞)であるとか、幼児性(≒残虐性≒ヒステリー)が残存しているとか、性的に未成熟(≒性的経験が少ない→正常に欲求を昇華しきれなかった場合は淫乱性がある)であると観る。ついでに言えば、妻妾宮(さいしょうきゅう、=目尻)に青筋がある(静脈が怒張している)場合は、男女間の不仲を暗示し、別離・離婚の相と観て間違いない。
*涙堂(下まぶた)は、腎(≒現代医学における腎臓)や泌尿・生殖器の状態を観るのだが、簡単に言えば、涙堂の黒さはそれらの機能が亢進または低下していると観る。つまり、涙堂の黒気は淫乱(精力亢進)かインポ(精力低下)と観るのである。さらに、涙堂の黒気は陰徳の欠如、下半身の冷え、生殖能力の低下、不妊症、不感症、陰湿な性格(腹黒さ)、子供におけるトラブルなどを暗示する。涙堂はふっくらとして、血色と艶が程良いものを、最上とする。眼と涙堂に異常がある場合は、危険な人物であると観て間違いない。ちなみに、精力の乱費は生命力の損失、ひいては運気の損失に直結するゆえ、程々に「慎む」のが賢明である。「水商売」に長年関わる者が晩年不幸になるのは、偶然ではない。
 

《売女(ばいじょ、=娼婦)が繁盛している場合、顴骨・命門の血色が非常に良い。また、身受けさせられる場合は、顴骨・命門の血色は衰え、悪くなる。その血色は自然と淋しく観える》

身受けする場合は、顴骨から命門まで一面に血色が衰える。血色が良い場合については以上の通りである。ただし、「血色が衰える」というのは、潤いがなく、淋しく観える事を言う。非常に良い場合には、美しい潤いがある。
*身受け…年季(=契約期間)を定めて雇われている芸妓(げいぎ、=芸子)や娼妓(しょうぎ、=娼婦、遊女)などを、身代金と引き換えに落籍(≒退職)させる事。
 

《命宮(めいきゅう)の部》

《命宮の左右に青色(せいしょく)が縦に現れる場合は、住居内での動き(≒引っ越し、移動、変化)や、住居に関する望み事がある。いずれにしても、住居の事での不安がある。また、静かな所へ引きこもりたいと望む気持ちがある(図17参照)》

↑図17

以上の青色は、左右の眼の近くに、青筋(あおすじ)が立っているように現れる。また、小児の命宮には青色が横に現れているものである。ゆえに、これは考慮に入れない。
*幼児・小児における命宮の青筋(静脈の怒張)は、癇の虫があると観る。
 

《命宮に赤色(しゃくしょく)がある場合は、家に災いがある。または、家内の不和、意思疎通に隔たりが起こる事がある。よく考えなさい(図18参照)》

↑図18

以上の赤色はよく観ると、粟粒(あわつぶ)を播(ま)いたように現れる。つまり、何となく赤色が混雑して現れるのである。よって、家内が混雑するという道理がある。また、この部位に赤色があれば、怪我をする事がある。第一に、この赤色は印堂・命宮の間に薄く現れる。
 

《命宮に美色がある場合は、家内において悦び事がある。病人に現れた場合、その病は必ず治る》

以上の「美色」とは、紅潤(こうじゅん)の事を指す。また、病人に現れる美色は紅色がなく、潤いのみがある。もし、紅色がある時は、病に変化がある。
 

《命宮に暗色がある場合は、住居、家庭内での動き(=不幸)がある》

以上の暗色は、燻(くすぶ)ったように観える。また、以上の暗色は家に関する動きを判断するが、人によっては近日中に病気になる、と判断する。家内に辛労事が起こる場合も、以上の暗色が現れる。
 

《命宮に美色、または命門に美色がある場合は、家内において悦び事があるか、妻を得る事がある》

命門の美色の中に赤点(しゃくてん)や、その他の障り(悪い相)がある場合は、縁談があったとしても障害が起こり、成就し難い。赤点とは、針の先で突いたように赤いものである。必ずしも吹き出物とは限らない
 

《鼻の部》

《右身(うしん)・左身(さしん)から黄色(こうしょく)が出て、小鼻の辺りまで現れた場合は、必ず散財があるか、その他の損失がある(図19参照)》

↑図19

以上の黄色は年寿(鼻の中央)から起こり、右身・左身、左右の小鼻の辺りまで散ったように現れる。また、この黄色は潤いがなく青色(せいしょく)のように観えるが、その本体は黄色である。さらに、以上の血色は散財の相でありながら、金銭と引き換えに家督(≒嫡子、跡取り、戸主)を求める時にも現れる事がある。よく心得ておきなさい。
 

《暗色が小鼻の際を取り巻き鼻の穴に入る場合、または暗色が口の辺りにあって口に入る場合は、必ず水難(すいなん)か水損(すいそん)に遭う事がある》

以上は暗色というよりも、暗気であるよって、幽(かす)かに現れる。また、水難の血色がある上に、任脈(≒主に顔の正中部分。原文では「人脈」)の衰えが際立つ時は、必ず水死する。水に溺れない場合は、真の水難とは言えない。この場合は水損の相である、と言う。よって、溺れるような状況が全くないのに水難の相が現れた時は、必ずその水難の相は、損失の相も兼ねて現れている。水損がある時は、水に剋(こく)される血色が現れる。よって、水損の事は面部(=顔面)の土剋水(どこくすい)、水剋火(すいこくか)の道理をもって考え、知る事が重要である。これは筆談だけでは表現し難い内容である。自分で会得しなさい。また、任脈とは、面部の真ん中、鼻筋の通り道の事を指す。
*水難…水難というと海や川で怪我をしたり溺れたりする事だけを思い浮かべる人が多いかもしれない。しかし、実際の水難は「水」に関する全ての場所・事物が原因で起こる現象を指すため、水に関わる一切の事に注意しなければならない。海や川はもちろん、湖、沼、池、温泉、プール、排水溝、トイレ、風呂場、スキー場、水族館、井戸、飲料水、ダイビング、船、雨等々。当然、津波や鉄砲水などによる自然・人工災害も含まれる。戦国期に活躍したとされる、医者の曲直瀬道三(まなせどうざん)は、脈診によって死脈を察知し津波から村人を救ったと言うが、人相を観抜く事が出来れば、同様にして多くの人命を救う事も可能である。
*水損(すいそん)…水害による損失の事。
 

《鼻の穴の縁(ふち)に黄色(こうしょく)がある場合は、必ず近日中に金銭を得る。たとえ、金銭でなかったとしても、何らかの物を得る》

以上の黄色は、例えるならば木の葉に斑点が入るように、鼻の穴の縁に現れる。穴の縁(ふち)一面に現れる事もある。また、この黄色は、穴の中から外へ現出する血色である。黄潤が相交わって現れる。淋病(=性病)がある人の白潤と観間違えやすい。よく心得て観なさい。
 
《鼻の穴の縁(ふち)に白色がある場合は、必ず淋病である》
以上の白色は、鼻の穴の縁(ふち)一面に現れる。その症状によっては、濃く観える事もある。あるいは、白潤に観える事もある。いずれにしても、男根の患いである。また、金銭を得る時や、長い間衰えていた者が盛り返す時、この部位に潤色が現れる事がある。この潤色は淋病の時に現れる白潤と観間違えやすい。よく心得なさい。
 
《鼻の周りに白気がある場合は、陰蝕瘡(いんきんだむし)の症状がある(図20参照)》

↑図20

以上の白気は、小鼻の少し上から法令線の辺りへかけて、散ったように鼻の下を回り、現れる。しかし、鼻の下へ回る白気は人によっては観定め難い。例えば、中指の先端で丸く引き回したように鼻の左右に現れる。また、散財がある時は、この部位に以上のような白気が現れる事がある。よく心得なさい。
 
《鼻が赤い者は子供に縁が薄い。一生、「足る事」を知らない》
以上の「鼻が赤い」とは、俗に言う「酒渣鼻(しゅさばな、ざくろばな)」の事である。酒渣鼻でなくとも、鼻の先が常に薄赤い者がいる。この類も子供に縁が薄いが、酒渣鼻のように酷くはない。鼻は「土星(どせい)」と言って、「土(つち)」を象徴し、己の身体に応じている。また、赤は「火(ひ)」の色であり、その火によって己の土を焼き亡ぼすに等しい。焦土となれば、万物は生育出来ない。よって、生涯、「足る事」を知らない。己の身体から生ずるものは子孫であり、土が焼ける事は己の身体が完全に滅びるに等しい。ゆえに子に縁が薄い。たとえ子供がいたとしても、頼りになり難い。「土星(=鼻)」に火気があるときは、火生土にして「相生(そうじょう)」であるが、この場合の赤色においては考慮に入れない。
 
《鼻の先が乾いたように曇っている者は、大いに辛労がある。その当時は何事もうまく行かない》
鼻の中程から下、小鼻にかけて乾いたように、燻(くすぶ)ったように現れる。以上の血色は潤いのない黄色に、暗色が相交わって現れる。ゆえに、燻ったような黄色に観える事がある。鼻は「中央」であり、己の身体そのものとする。ゆえに、鼻が乾いたように潤いがない時は、己の身体が衰えているに等しく辛労がある、とする。また、鼻は「土」を象徴するため、土の潤い(≒水気)を失って万物が生育し難い状況である、とする。ゆえに、万事が調(ととの)い難い、と言う。
 
《鼻と耳が萎(しな)びたように曇り、小鼻が特に曇り、同様に命宮も曇り、眼光が薄い。この場合は必ず死ぬ(図21参照)》

↑図21

以上の「萎びたように曇る」とは、蒙色が現れる事を指す。また、「小鼻が特に曇る」とは、暗色と蒙色が相交わって現れる事を指す(→つまり、小鼻に著しい蒙色が現れる)。さらに、「命宮が曇る」とは、潤いのない蒙気が現れる事を指す。一般に死相の事は、四、五十日の内に死ぬ者についての眼中を観て考えれば、自ずと判(わか)る。人は生まれて四十九日までは、眼中に神(しん、≒神気)が宿る事が薄い。淀(よど)んだように曇っている。また、死ぬ四十九日前から、眼中に神が通じる事が薄くなる。よって、眼勢(がんせい、≒眼光)が弱くなり、眼中は自然と曇るようになる。また、病人が死ぬ七日前の眼光と、生まれて七日目の赤子の眼光も、同じである。また、死ぬ四十九日前の眼光と、生まれて四十九日目の眼光も、同じである。また、これからすぐに死ぬ者の眼光と、生まれたばかりの赤子が初めて開いた時の眼光も、同じである。詳しい事は死にゆく人、生まれたての孩子(がいし、=孩児、赤子)の眼光を観て知りなさい。また、病人が息絶え絶えで死にそうに観えても、眼・耳・鼻が「死んで」いない時は、死ぬ事はない。眼・耳・鼻は心・腎・脾の三停(≒三歳、三才)に対応する。この三停が絶える事がなければ、決して死んだとは判断出来ない。逆に言えば、その身体が壮健に観えて、日々元気に過ごしているようでも、この三停が絶えたならば、扁鵲(へんじゃく)であっても蘇生させる事は不可能である。なお、深く考えて死相の妙を得なさい。筆をもって言い伝える事は困難である。
*三停、三歳(三歳)…前出しているので、そちらで参照。
*扁鵲(へんじゃく)…言わずと知れた、中国の名医である。実在したかどうかは不明であるが、死者をも蘇生させたと言われる。
 

《法令(ほうれい)の部》

《法令線の外側に美色がある時は、その当時、家業(≒仕事)が繁盛している。あるいは、商売に対する意気込みがある(図22参照)》

↑図22

以上の美色は通常、法令線の外側にあるが、法令線の上にかかって現れる事もある。また、口と同じくらいの高さで、法令線の外側に散ったように、幽(かす)かに現れる事もある。さらに、法令線の上に多く現れる事もある。人によっては、法令線の数が多くあるように観える場合もある。だが、鼻の根元から流れ出る筋が、真の法令線である
 

《法令線の外に穢色(えしょく)がある場合は、家業に儲けは無い。あるいは、商売において損失がある》

以上の「穢色」とは、汚れたように観える色である。元来この血色は、暗気が現れ、時を経て穢色に変化したものである。また、人によっては暗気のみで終わる事もある。第一に、暗気は少し観え難い事がある。暗気、穢色とも、災難が訪れる事を暗示する点では同じである。暗気も同様に、口と同じくらいの高さで、法令線の外側に現れる。
 

《法令線の外側には美色、内側には暗色(≒暗気)がある。この場合は、表向きでは家業が繁盛しているようにみえるのだが、実際は利益が出ていない、と観る》

以上の美色には潤いがある。また、暗色とは言っても幽かで、暗気のように観える
 

《右身・左身から美色が出て、口のほとりまで現れる時は、近日中に悦び事があるか、家業が繁盛するか、何れにしても吉事がある(図23参照)》

↑図23

以上の美色は右身・左身から起こり、法令線の上を通って口の辺りまで現れ、下る。また、この美色は「湯上がり」のような感じで、ほんのりと潤いがある。しかし、紅潤(こうじゅん)ではない
 

《法令線の根元から口の辺りまで美色がある場合は、家業に対する意気込みがあるか、商売で儲けがある》

以上の美色は、法令線の根元から起こって、法令線に寄り添うようにして口の辺りまで現れ、下る。また、法令線の外際に現れ、下がる事もある。法令線の内側に現れる事もある。あるいは法令線にかかって現れ、下る事もある。例えば嬰児(えいじ、=緑子、乳児)の小指の先で引いたような広さに現れる。以上の血色は黄気(こうき)に少しの紅気(こうき)が相交じった美色である。
 

《法令線の根元から口の辺りまで暗色がある場合は、家業の衰えがある。あるいは商売における損失がある。または、商売での儲けがない》

以上の暗色は前項のように、嬰児の小指の先で引いたような広さで現れる。あるいは、法令線の内側に、影が差したように現れる事もある。また、法令線に寄り添うようにして、法令線の内側や外側に現れる事もある。
 

《法令線を土色(どしょく)が覆(おお)い、地閣・奴僕の辺りに暗色がある。この場合は、全財産や地位を失うか、家業や商売で妨害がある。何れにしても、大いに辛労がある(図24参照)》

↑図24

以上の土色は、黄気に暗気が相交じって現れる。よって、汚れたように観える。法令線に沿って、口の辺りまで現れる。また、法令線の根元から口の辺りまで、汚れたように曇る事がある。「地閣・奴僕の辺りの暗色」とは、暗色、蒙色が相交じって現れた状態を指す。これを「日昳一の暗(じってついちのあん→原文では「じっしついちのあん」)」と言って、大凶である。一族滅亡を避けられないのではないか、と思われるほどの血色である。
 

《法令線がはっきりしていない者は、家業(≒職業)が安定していない》

総じて、「道」に背(そむ)くような事を生業(なりわい)とする者は、特に法令線が整っていない。また、法令線ははっきりとしていないので、自然と淋しく観える。
 

《家業(≒職業)が安定している人で、法令線がはっきりしていない時は、家業の衰えがある。あるいは、家業を控えめにしたいと思う気持ちがある》

*法令線がハッキリしてくると、男女ともに仕事や部下に恵まれやすい。だが、法令線が深く刻まれる相は本来男性の相であるため、女性で法令線が強く出ている場合は、後家相の一つになる(その代わり仕事には恵まれやすい)。また、法令線は小人形法(→面部と人体を関連させた観方)では脚に対応するため、法令線がハッキリ現れていると健脚であると観る事も出来る。逆に言えば、よく歩く人や、ランニングを趣味とする人には法令線がハッキリと現れやすい。よって私の理論上では、日常的に脚をよく使う事で健脚となり、体内で最も大きい筋肉である大腿四頭筋が活性化されるゆえ、下腿に鬱滞しがちな静脈血の還流が促され、全身の血液の巡りが良くなり、全身の代謝効率が上がり、結果として健康になり、バリバリ働く事が可能となり、相に勢いが出るゆえ、運命にも勢いが生まれ、自然と職に恵まれ、開運につながる、と言えるかもしれない。医学的には1日30分前後歩く事を推奨しているが、週に1日でも2日でも構わないので、少しずつでも継続して歩く事をおススメする。開運の秘訣は、まずは己の健康を維持する事である。相(≒健康状態)に勢いがなくなってくれば、自ずと運命にも陰りが出てくるものである。ついでに言えば、前述した通りに、ハッキリとした法令線は後家相であるため、家庭に落ち着きたいと願う女性は、仕事を夫よりも控えめにした方が賢明である。でないと、確実に後家の運命を辿(たど)る事になる(他にも強い後家相があった場合は特に)。かつて、外(=表、陽のあたる場所)での仕事が男性のモノであったように、男性同様にバリバリ働く女性は男性の相を強く備えるようになり、結果として男を剋す(ダメにする)事になってしまうのである(第一線で活躍する女優やアイドル、女性実業家が良い例)。よって、女性は仕事と家庭を両立させる事は、物理的にも、時間的にも、運命学的にも、極めて不可能に近いと言える。これは過去の事実をみれば明らかである。もし、バリバリ働きながらも男性と良い関係を築きたいと願う女性は、女性的な男性と結婚するか、結婚せずに恋人として付き合うのが良い(結婚すると後家相がより強く男性に影響するため)。とにかく、強い後家相を備える女性が、結婚後も男性と肩を並べ男性並みかつ精力的に働くならば、必ず夫は早死にするか、「ダメ」になる可能性がある。しかし、「徳は相を超える」事が往々にしてあるため、陰徳の有無について含めた上で、慎重に判断しなくてはならない。ちなみに、南北翁が唱えた最大の陰徳とは、食を慎む事(全てに足る事を知る)である。
 

《法令線の中に泥色(でいしょく)がある場合は、全財産や地位を失うか、家業の破綻がある》

以上の「泥色」とは、例えるならば垢(あか)が溜まったように観える状態を指す。この色が法令線の中に現れると、本当に垢が溜まっているように観える。また、家業が衰え、大いに辛労がある時も、この泥色が現れる事がある。
 

《食禄(しょくろく)の部》

《食禄に美色がある時は、心中に悦び事がある。あるいは、家業(≒職業)や家督(=家産、遺産)に関係する悦び事がある。何れにしても、家についての悦び事がある(図25参照)》

以上の美色は、食禄の部位に散ったように広がって現れる。特に、鼻の穴の際辺りに強く現れる。この血色は紅潤の美色である。しかし、悦びが訪れる前は紅潤ではなく、潤いのみが現れる。そして、悦びが訪れた後に紅潤となる。
 

《食禄に美色があって、その色が法令線の外側へ現れ出る時は、いよいよ心中の悦び事が実現する(図26参照)》

↑図25

以上の美色は、食禄に留まって離れないうちは、心中に悦び事があるとは言っても、まだ実現はしていない、と観る。だんだん悦び事が実現に向かうにしたがって、美色が法令線の外側に現れ出る。  
 

《食禄に穢色がある時は、家業あるいは家督についての辛労がある。大いに悪い》

以上の穢色とは、例えるならば汚れたように、燻(くすぶ)ったように観える色である。食禄の部位一面に現れる。この穢色が現れる時は諸事に滞りが多く、心が落ち着かない。
 

《食禄に穢色があり、その色が法令線の外側に現れ出る時は、家業あるいは家督を失う事になる。何れにしても、己の心の内にある辛労が具現化する》

 

《食禄から黄色(こうしょく)が現れ、口の周りを巡る時は、必ず近日中に良い事がある。ただし、家業あるいは家督に関する悦び事である(図26参照)

↑図26

以上の黄色は、口の周り一面に現れる。これを「晴天平旦三の潤(せいてんへいたんさんのじゅん)」と言う。よって、曇ったような黄色に観える。しかし、しばらく観ると、本当に黄潤(こうじゅん)が鮮やかに観える。食禄はすなわち家督を司り、口は五体を養う門であり、黄色は悦びや繁栄の色である。身分や地位の貴賤に関わらず、この道理をもって判断しなさい。
 

《食禄に潤色があって口に入る時は、近日中に家督に関する悦び事がある》

以上の潤色は、左右の食禄に散ったように現れ、口に入るように観える。また、左に現れて口に入る事もあれば、右に現れて口に入る事もある。この血色は曇天平旦で、潤いがある。つまり、濁(にご)ったようでいて、自然と潤いがある。この血色は何れにしても、吉事を暗示する。
 

《食禄に、黄潤が横に現れる時は、住居または家督に関しての悦びがある》

以上の黄潤は食禄の上、鼻の穴の際に、横に現れる。例えば、指の先で線を引いたように、または横に散ったように現れる。この血色が法令線の外に現れ出る時は、近日中に悦び事がある。何れにしても、吉事がある。
 

《食禄に赤色(しゃくしょく)が現れる時は、家業あるいは家督を失う》

赤色とは言っても、赤色と暗色が相交わって現れる。よって、赤黒く観える。また、家督を失う前は、赤暗(しゃくあん)ではなく、暗色のみ現れる。失って後、赤暗となって濃く現れる。さらに、この血色は食禄の部位一面に現れるように観える。大体において悪色は、枯れ衰え、潤いがないように観える。ゆえに、この色が食禄の部位に現れる時は、己の「食禄」が枯れ衰えるに等しい。よって、家業・家督の衰えがある、と言う。しかし、食禄に悪色が現れていたとしても、右身・左身から美色が起こって小鼻を過ぎて現れ下る時は、みだりに判断してはならない。この場合、大抵の凶事は助けがあって、自然と免れる事が出来る。また、免れがたい凶事が来たとしても、その後に相応の吉事が来る。
 

《食禄から穢色が起こり、口を取り巻くか、唇に穢色がある。または、下唇の内に黒青色が飛び散ったようにある。この場合、近日中に非人(ひにん、≒落伍者)となる》

以上の穢色とは、枯れたように淋しく、汚く曇ったような色である。これはすなわち、「曇天日昳(どんてんじってつ)終わりの暗色」である。非人の相は、例えるならば、己の天から食禄(≒食料、給料)を受ける場所である、食禄の官がことごとく枯れ衰えてその地位を失うに等しい。よって、食禄が乏しくなり、非人となるのである。だが、非人となって十四、十五日も経てば、以上の血色は自然と去り、何事もなかったかのように観える。これはつまり、非人と確定する時は、「非人なり」の食を得るようになるゆえ、血色が退くという道理である(→非人であることに順応してしまえば、血色は消えるという事)。だが、以上の血色が現れても、非人とならない場合は、必ず食を乞うほどの困窮がある。また、富貴の人にこの血色が現れた場合は、大難が来る。家督を失い、破産し、その後は自ら食を乞うほどの艱難(かんなん、≒困難)が来て、流浪するようになる。貴賤に関わらず、以上に準じて観なさい。非人の相とは言っても、特別な相ではない。己の行いの善、不善によって、誰にでも現出する相である。ゆえに、骨形(こっけい、≒骨格)には現れず、血色や意色(いしょく、≒心の色)として現れるのである
 

《妻妾(さいしょう)の部》

《妻妾に青色(せいしょく)がある場合は、離縁(≒離婚)の気持ちがある(図27参照)》

↑図27

以上の青色は、妻妾の部位から出て、眉尻の辺りまで現れる事がある。また、妻妾から出て、少しだけ顴骨(けんこつ、≒頬骨のあたり)の方へ散る事もある。ただし、この場合は青筋ではない。以上の青色が現れる時は、男女とも、離縁の心がある。色が強く現れる時は、いよいよ離縁が決定する
*福堂から辺地あたりにかけて現れる青色はヒステリーの相の一つである。
 

《左の妻妾に美色があって、右の妻妾に収色(しゅうしょく、原文は「收色」)がある。この場合は、妻の心は定まっているが、夫の心は安定していない(≒浮気心がある)、と観る》

以上の収色とは、美色のように美しいものではない。ただ何となく、静かに収まっているように観える血色である。逆に、左の妻妾に収色があり、右の妻妾に美色がある場合は、夫の心は安定しているが、妻の心は不安定である、と観る。
*妻妾宮は男女逆に観るので、注意が必要である。前にも記したが、『南北相法』は男尊女卑の風潮を色濃く受けているため、男性の相を中心に記されている。基本的に左は陽、右は陰、という法則に従い、男の妻妾宮の左は正妻の事、右は愛人や恋人の事を観る(ただし、以上の文章では「左妻妾=夫(自分)」、「右妻妾=妻」として観ている。つまり、ここでの美色は「浮ついた心の色→浮気する血色」である事がわかる。)。女性は逆で観る。男女とも、左は同性、右は異性、と考えても良い。
 

《妻妾に潤色がある場合は、未だ「決まった」妻がいない》

以上の潤色とは、薄紅のように、華やかに観える色である。ただし、その色は、収まっていないように観える。
 

《妻妾に、常に収色がある場合は、すでに「決まった」妻がいる》

収色とは、前出の如く、静かで収まったような色である。これを「平旦にして潤」と言う。ゆえに、しばらく観ていると、大いに健やかに観える色である。
*妻妾の部位に「落ち着き」があるように観えるのである。よって、男女とも、独身者の妻妾宮は、「落ち着いた」感じが観えない。
 

《妻がいる夫の妻妾官に潤色がある場合、夫には妻と離縁したいという気持ちがある》

この人は必ず妻と離縁し、その後すぐに新しい妻を得る事がある。また、陰で女とのもつれ合いなどがあった場合も、この血色が現れる事がある。
*前述したように、妻妾宮の「薄紅色の華やかな」潤色、落ち着きのない色は、「浮気の色=浮気の相」と観る。ちなみに、夫の眉(兄弟宮)に艶が出た場合、妻は浮気している。さらに、人中(鼻の下の溝の事で、「小人形法」では膣にあたる場所)に横線が出る場合も姦通(浮気)の相であり、女性特有の浮気の相である。
 

《右の妻妾に青色(せいしょく)がある場合、妻が夫に、離縁を言い渡す事がある》

逆に、左の妻妾に青色がある場合は、夫が妻に、離縁を言い渡す。この青色は、妻妾に散ったように現れる。また、少し顴骨の方に散り広がって観える事もある。つまり、左の妻妾は陽であり夫を象徴し、右の妻妾は陰であり妻を象徴するのである。また、青色は肝気の色であり、怒りの色でもある。ゆえに、自分から怒り、「壊す」の道理である。以上の事は男女とも、これに準じて判断しなさい。
*女性の場合は、男性と逆を観る。
 

《妻妾に青蒙(せいもう)があり、土星(=鼻)の左右に黄色(こうしょく)がある。この場合は、必ず黄疸の症状がある》

以上の青蒙とは、薄青い曇りがある色の事を指す。黄疸とは、肝木(かんもく)・脾土(ひど)が剋された結果、脾・肝の気がともに衰えて生ずる病である。ゆえに、この人は常に気が重く、少しの事でも思い悩み、心配する。これは、脾・肝の気が衰えた事が原因である。妻妾は眼の後ろに位置し、肝気が走る場所である(→肝と眼が五行関係にあるため)。また、土星の左右は脾土を司る(→鼻は顔の中心で、「土」は中心を司るため)。これはつまり、脾・肝の気が健全でない時は、必ず妻妾に青色が現れ、土星の左右に黄色が現れることを意味する。脾・肝の気がまさに絶えようとする時は、全身に青色・黄色が現れる(→いわば死斑、死相のひとつ)。以上の病がある人で、土星の左右に黄色が強く現れた時は、必ず病状が悪化している
 

《命門(めいもん)の部》

《命門に美色がある場合は、必ず妾(=愛人)がいる(図28参照)》

↑図28

命門の美色が薄紅のようで、甚(はなは)だしく輝いて観える時は、必ずその妾の事での口論や辛労がある。大体において、命門の部位が薄紅色に輝く時は、女難がある
 

《命門に潤色がある。顴骨の後ろに赤気(しゃっき)がある。この場合は、必ず女難がある》

以上の赤気は、顴骨の後ろから命門の方へ散ったように現れる。また、赤色が現れる事もある。
 

《妾もなく、女難もない人で、命門に美色が現れる時は、妻が必ず他所へ行く(≒妻と離別する)》

この美色は、女難がある人の血色と同じように現れる。特に、若年者で、色欲が強い者に多く現れる血色でもある。また、夫婦間での交合(=性交)がなければ、自然と腎気が動きやすく、以上のような血色が現れる事もある。その妻との関係が戻り、再び十四、十五日も交合すれば、以上の血色は自然と収まってくる。
 

《命門の肉付きが厚く、健やかに観える者は、必ず腎気が強く、長寿である》

逆に、命門の肉が衰えて淋しく観える者は、腎気が薄い。さらに、不養生(→原文は「不自愛」)であるならば、必ず短命である。この人の容貌が激しく観える時は、病まずして死ぬ。たとえ病んだとしても、長くはない(→つまり、突発的に死ぬ)。
 

《病人の命門の肉が衰え、暗気が現れる時は、必ず死ぬ》

また、常人においては、腎虚となる前兆の相でもある。この場合も、すぐに病気になるが、暗気が耳を巡れば、必ず死ぬ。他の相もよく観合わせなさい。
 

《眼(まなこ)・男女宮(だんじょきゅう)の部》

《眼中で、白目に青みがある者は、自分で物事をダメにし、己の身を亡ぼす事があっても、自分に原因がある事に気がつかない》

この人は余程の慎みがなければ、必ず短命に終わるか、気が狂って不慮の死を遂げる事がある。だが、どうなるかは予測し難い相である。慎めば、免れる事もある。
 

《女で、眼の白目が青い者は、大変な悪女である。心が乱れ、気が狂っているようである》

この女は必ず夫を差し置き(≒無視し)、万事において差し出る(≒でしゃばる、余計な事をする)。また、離婚を繰り返す。さらに、子供に縁が薄く、子供に恵まれない。この女は慎まなければ、老年期は大凶である。気が狂ったり、異常な死に方をする場合もあるが、どうなるかは予測し難い相である。
*五行において青は肝気の色であり、肝気は怒りに関係する。よって、この相がある女性は中年期にヒステリーを発症したり、淫蕩に狂う可能性が高い。とにかく、理性のコントロールが効かず、欲望の向くままに暴走しがちな相である。食欲、性欲、物欲、睡眠欲など、人一倍自制しようと努めなければ、必ずや破綻した人生となる。
 

《眼下に赤点(しゃくてん)がある者は、自分の頼りになる者がいる》

すでに、頼りになる目下がいるか、または赤点が現れて後に、頼りになる目下を得る事もある。何れにしても、自分の味方になる者がいる、と観る。もし、その頼りになる者が衰える時は、赤点も自然と衰える。逆に、盛んになれば盛んになるにしたがって、潤いを生ずる。以上の赤点とは、ホクロのようなものであり、吹き出物とは限らない。
 

《男女宮に青潤(せいじゅん)がある場合は、妊娠している。男女ともに、現れる相である》

以上の青潤とは、青気(せいき)に少しの紅気(こうき)が相交じって現れるものである。ゆえに、潤いがある青色に観える。あるいは、薄紫色のように観える事もある。以上の血色が健やかに観える時は安産、衰えて観える時は難産である。また、血色が健やかなように観えても、少しでも悪色が交じって観える時は、難産となり、胎児は死ぬ。たとえ産まれたとしても、命の長短はこれに準じて判断しなさい。
*男女宮は、別名「涙堂」とも呼ぶが、妊婦の涙堂が薄紫色であれば、貴児を産むとも言われている。
 

《男女宮の青潤が左側に強く、健やかに現れる場合は、男子を産む。逆に、右側に強く現れる場合は、女子を産む》

もし、以上の血色が異常に健やかに観える時は、変じて難産となる。たとえ産まれたとしても、その子は短命である。また、人によっては、以上の青潤が濃く現れる事がある。これは多くの場合、「色白」の人に現れるものである。
*「産み分け」については様々な観方があるが、私が観てきた経験では、妻の後家相が強いと女子が生まれやすいようである(夫が剋されていればいるほど、女子が生まれやすい)。この場合は必ず夫婦の相を観比べるのだが、夫の相が女性的であったり、相に勢いがなかったり、運勢が下降傾向にあったり、体調が不安定で病気がちであったりする事に加え、妻が強い後家相を備えている場合は、必ず女子か不健康な子供が生まれる。逆に、妻に強い後家相つまりは男の相があったとしても、夫に妻を凌ぐほどの男相、威相があれば、男子が生まれやすい。「産み分け」については男女宮の血色を観る以外に、妊婦に背後から声をかけて左右どちらから振り向くかによって判別したり、人中の状態を観て判別する方法などがある。ちなみに、昔から「雷が鳴る夜に子作りするな」とか「大酒を飲んだ夜に子作りするな」という戒めがあるが、肉体面、精神面、ひいては運勢が不安定な時に性交して生まれた子供は、短命であったり、何らかの障害を抱えて生まれてくる可能性が高い。当然ながら、密通、不倫などによって生まれた子供も同様になる可能性がある。また、古人は若いうちに子供を産む事を奨励したものだが、これも経験則によるものであろう。実際、夫婦が高齢になればなるほど、障害児が生まれるリスクが高まる事は医学的にも証明されている。一般的に「障害児」というと、外面的・肉体的に何らかの特徴があるように考えがちであるが、実際は内面的・精神的に障害がある場合も多く、この場合は成人した後に悪事に手を染めたり、自殺したりしやすい。
 

《妊娠している時、三陰三陽に「平旦東方明(へいたんとうほうめい)の潤気」が現れる時は、必ず秀才の子を産む。第一に、その子は後年必ず天下に名を揚げる(図29参照)》

↑図29

以上の三陰三陽とは、眼の上下左右、髪際に至るまでの部位を指す。また、「平旦東方明の潤気」とは、不潤、不明、不暗、健やかであり、太陽(↔太陰)であり、発達の気が観えるものである。
*昭和期最大の人相観、大熊光山が上梓した「人相活断大事典(香草社、昭和53年発行)」には、「平旦の色(平旦な色潤)とは、初めは曇っているように見えますが、しばらく見ていると、晴々として勢いがよく、暁天の東の空を見るかのような相をいいます。」とある。
 

《魚尾(ぎょび)・奸門(かんもん)の部》

《魚尾に赤色(しゃくしょく)がある時は、妻に病がある。あるいは、夫婦間での口論が絶えない(図30参照)》

↑図30

以上の赤色は、一、二分(約3~6mm)の大きさで、散ったように現れる。眼を閉じれば隠れ、眼を開けば現れる血色であり、眼尻から眼の内へ入る場所に現れる。赤色とは言っても、黒色(こくしょく)が少し相交じっているゆえ、赤黒く観える。また、薄紅のように現れる事もある。妻がいない人は女難がある。
 

《魚尾に黒色がある時は、夫婦間での口論が絶えない。また、妻縁が薄く、離婚する》

以上の黒色があるのに離婚しない時は、必ずその妻は病気に罹(かか)っていたり、何れにしても女に関しての苦労が多い。前談の如く、眼尻から眼の内へ入る場所に現れる。例えば、焦げ付いたように現れる。眼を強く閉じた時は観え難く、眼を開く時は観え易い。
 

《魚尾に赤色の点がある時は、家族に関しての不安や辛労がある》

以上の赤点とは、例えるならば粟粒ほどの大きさの赤色である。赤点でもなく、吹き出物でもない。数多くある場合は考慮に入れない。ただ一つだけ現れているものを考慮に入れる。魚尾の際か、魚尾の上か下に現れる。
 

《奸門に赤色がある時は、大いに辛労がある。特に、女についての辛労がある(図31参照)》

↑図31

以上の赤色は、奸門の髪際に濃く現れる。焦げ付いたように、赤黒く現れる。奸門は陰面(≒横顔)の後方にあり、陰(かげ)である。赤黒(しゃっこく)は火水が相戦う色である。この道理をもって判断しなさい。また、奸門は陰(かげ)の女を象徴する
 

《奸門に赤色の点がある時は、女難あるいは口論が絶えない》

以上の赤色の点とは、粟あるいは米粒を割いた断面ほどの大きさの、赤いものである。数が多くある場合は吹き出物である。ただ一つある場合だけを考慮に入れる。以上の赤色は奸門から髪の少し内側にかけて現れる。前談の如く、奸門は妻妾宮の後方にあり、陰の女を象徴する。さらに、赤色は災難を司る色である。ゆえに、陰の女についての災難がある、と観る。また、髪は己の血の余りであって、親類を象徴する。よって、赤色が髪にかかる時は、その災難が親類にも及ぶ、と観る。
 

《天中(てんちゅう)・官禄(かんろく)の部》

《天中から官禄まで青色(せいしょく)が下る時は、目上から怒りを受ける(図32参照)》

↑図32

以上の青色は天中から二様になって官禄の辺りまで下る。また、散ったように一筋に下る事もある。例えば、嬰児(えいじ)の小指の先で線を引いたような広さで現れる。しかし、際立つ事もなければ、はっきりと青色に観えるわけでもない。また、必ず青筋であるというわけでもない。
 

《天中から官禄に赤気が下れば、必ず目上から災難が来る》

以上の赤気は、天中から起こって官禄の辺りまで散ったように現れ、下る。または前談の如く、嬰児の指で線を引いたような広さで現れたり、灯心がうねるように現れ、下る事がある。赤気の先が細くなっている時は、必ず近日中に大きな災難が起こる
 

《官禄の血色が衰えて淋しく観える時は、その当時大いに悪い。辛労が甚だしく強い》

また、その当時は望む事は何一つ叶わない。以上の「衰えて淋しく」とは、暗蒙の気が相交わって現れる事を指す。この人は必ず家が亡ぶか、その地位を失うか、暮らしが行き詰まる。よく考えなさい。
 

《夫がいない女は、官禄の血色が衰え、悪い。逆に、夫がいる女は、自然と血色が良い》

以上の血色は、売春婦の類や、身持ち放埓(≒だらしない性格)で、女としての節操がない者など、天理(=自然の道理)に適(かな)わないような者には現れない。後家になった女か、未婚の女に現れる
 

《官禄から印堂まで青気(せいき)がある時は、愁(うれ)いか、驚く事がある(図33参照)》

↑図33

以上の青気は、官禄から印堂まで散ったように薄く現れる。だが、曇ったように、蒙色のように観える事がある。もっとも、青気は愁いや驚きの色である。
 

《日月(じつげつ、日角と月角)・印堂(いんどう)の部》

《嫡子(=家督を相続する者、≒長男、長女)が死ぬ時は、日月の血色が衰え、自然と肉付きが落ちたように観える》

以上の事は、多子の内の一子が死ぬ場合は考慮しない。独り子の場合のみに判断する。この道理については、後篇二ノ巻で追って説明する。
 

《日月に美色がある時は、自分に助力してくれる目上がいる(図34参照)》

↑図34

親がいる人は、その当時は自分よりも親の勢いが強い事がある。以上の血色は日月の官に、およそ銭ほどの大きさで、薄く幽かに現れる。必ず際立って現れるとは限らない。美色とは、潤気の事を指す。だが、人によっては濃く現れるゆえ、「美」と言うのである。
 

《印堂に赤気が昇る時は、必ず公難がある》

以上の赤気は二様になって、散ったように昇る。または、何となく、薄く幽かに昇るように観える事もある。ただし、赤気ゆえ、何れも幽かに現れる。だが、人によっては少し濃く現れる事もある。もし、赤色のように濃く現れたならば、判断しない。よく考えて判断しなさい。また、以上の赤色が現れていて、同時に破産する血色があったり、生活が行き詰まる血色がある時は、その公難は大事となる。
 

《印堂が広く、紅気(こうき)があるように、常に赤い者は、生まれついての愚である》

この人は常に心気に喜悦(きえつ)を含んでいる。ゆえに、印堂に赤色を現わす。これは「魯愚(ろぐ、≒愚鈍)の相」である。ただし、赤色には二様がある。肝気が強くなり、心を疲弊させている時は、自然と心火が高ぶり、印堂に赤色を現わす。これは喜悦の色ではない。第一に、この人は「色白」ではない。また、印堂も広くない。
*愚鈍か否かは、まずは眼を観ればわかるのだが、印堂の広さや山根(さんこん、鼻の付け根あたり)の高さでもわかる。印堂は、自分の人差し指と中指を並べた広さが標準で、それより広いと愚鈍であり、女性では貞操観念に欠ける、と観る。また、山根が低いのは知恵が欠如した相であり、子供の相でもある。山根は知恵が付くにしたがって、成長とともに高くなっていくものだが、成人した後も低い場合は、愚鈍であると観る。ちなみに、女性の場合、印堂は小人形法では「股」、「陰部」にあたるゆえ、印堂が広い女性は容易に「股を開きやすい女=貞操観念に欠ける女、だらしない女」であると観る。まぁ、良く言えば寛大な相である。
*心(しん)と喜悦…五行では、心と喜悦は相関関係にあるとされる。よって、五臓六腑で言うところの心が害されれば喜びや笑いの感情に変化が出るし、逆に喜びや笑いが度を越せば心(≒精神)が害される事になる。例えば狂人で、常にニタニタしていたり、笑い方が異常だったりするのは、心が害されている証拠だと観る事も出来る。どんな相にも言える事だが、度を越した相、中庸を逸した相は、必ず何らかの精神的異常を内包しているという事を念頭に置いて、判断しなければならない
 

《印堂から官禄まで美色がある時は、その当時は順風満帆である》

この人は必ず心中に勢いを含んでいるため、自然と相者に「これから開運するだろう」と思わせる。以上の美色とは、元々は紅潤の気色である。つまり、これは君火(くんか)が健やかゆえに現れる血色である。よって、心中に悦びを含む色である。一般的に、心火(しんか)が健やかである時は、万事に滞りがなく、自然と運の巡りも良くなる。なお、この血色は陰徳を積む人に現れる血色と観間違える事があるため、二様に考えて観なさい。
 

《印堂に赤色の点がある時は、必ず争い事、あるいは災いがある》

以上の赤色の点とは、前談の如く、粟粒や罌粟粒(けしつぶ)ほどの大きさのものである。また、印堂の少し上に現れる事もあれば、下に現れる事もある。数多く現れている場合は考慮しない。一つだけ現れている場合のみを考慮に入れる幽かで、観難い事もあるので、しっかりと観なさい。
 
《印堂から青気が起こり、辺地に走る時は、現状から逃れ、遠くへ行きたいと考えている》
だが、結局は遠くへ行く事は出来ない。以上の血色は、肝気が大いに衰え、自然と陰気になり、無常の気持ちが強くなった結果である。ゆえに、現状から逃れ、どこか遠くへ行きたいなどと思うのである。よって、肝気が治まる時は、以上の血色は忽(たちま)ちに退(しりぞ)く。また、この血色は変乱が激しく、観定め難い。もし、現状から逃れ、本気で遠くへ行こうと思う時は、以上の血色は印堂には現れず、陰面二十四穴である辺地・駅馬に現れる。他の相も観合わせて判断しなさい。
 

《唇・承漿(しょうしょう)の部》

《唇が赤黒い者は、運が強い。相応の発展がある。また、腎気が強い》

例えるならば、赤銅の如くに赤黒く、潤いがある。また、下唇の内側が紅(くれない)のようである。この人は「色白」ではなく、少し赤黒い面色である。もし、「色白」であれば、大凶である。
 

《唇が紅(べに)のように赤い者は吉である。色が悪くなるにしたがって、運も自然と悪くなる》

唇の色が悪くなる時は、万事に障害があって、成就し難い。老人は気血が衰えているため、唇の色は自然と悪い。これは老体の常色である。逆に、若者は気血が盛んなため、唇の色は自然と良い。この道理をもって、考えなさい。
 

《唇が曇っているようで、黒斑(こくはん)がある者は、運が衰えているため、度々災難に遭う。望み事は一つとして叶わない》

以上の黒斑とは、例えるならば、米粒ほどの大きさで、黒青色で、唇に斑(まだら)に現れるものである。また、米粒をまいたように、染みついたように現れる事もある。以上の黒斑が薄くなるにしたがって、運も自然と良くなる。黒斑でなくとも、以上のような血色が現れる時は、同様に判断する。
 

《唇が白く観える時は脾に病があり、自然と気が陰に塞がり、重い》

また、ちょっとした事でも、大いに心配する。この人は必ず病気が原因で運気を下降させてしまう。例え病気にならなくても、気が重ければ、成る事も成らない。万事に滞りがあって、運に障害が出る。
 

《病人の承漿に悪色がある時は、必ず「薬違(くすりちが)い」である(図35参照)》

↑図35

以上の血色は、何となく悪い色である。また、病症によっては、燻(くすぶ)ったように、紫のように、青黒いように現れる事もある。何れにしても、承漿に悪色が現れる時は薬が合っていない、と観る。以上の血色は承漿の部位一面に現れる。
 

《常人(=病気でない人)で、前談の如き悪色が承漿の部位に現れた時は、食あたりである》

食あたりだと思われても、承漿に悪色が現れていなければ、食あたりではない。同様に、「薬違い」だと思われても、以上の如く承漿の色に変化がなければ、「薬違い」ではない。
 

《駅馬(えきば)の部》

《駅馬から辺地まで美色がある時は、家の工事があるか、引っ越す事がある(図36参照)》

↑図36

家に関しての悦びがある時、この血色が現れる事がある。以上の美色は駅馬から起こり、辺地の方へ散り広がる血色であり、紅潤が相交じっている美色である。
 

《駅馬に暗気がある時は、家についての心配事があるか、家庭内に辛労となる事がある》

以上の暗気は、曇ったように観える。これを「日昳一の暗(じってついちのあん)」と言い、観え難い血色である。だが、二、三尺(約60~90cm)離れて観るならば、自然と観えてくる。また、暗色が現れる事もある。これは観易い。
 

《駅馬から山林まで暗気がある時は、家が亡ぶか、家庭内でのいざこざがある(図37参照)》

↑図37

以上の暗気とは、燻(くすぶ)ったように観えて、幽かである。また、この血色は駅馬から出て、山林の方へ引いたように現れる。例えるならば、小指の先で引いたくらいの広さに観える。だが、際立って現れる事はない。
 

《面色(めんしょく)の部》

《面(=顔)が赤銅(しゃくどう)のようの赤黒い者は、運気が強い。相応の福分がある》

これを鉄面(てつめん)と言って、貴賤に関わらず現れる吉相である。第一に心気が強く、腎が厚い。もし貧相があったとしても、鉄面の人は、まず貧窮する事はない。また、孤独の相があったとしても、鉄面の人には必ず一人なりとも子供がいる。さらに、親族の中でも自然と貴(とうと)ばれ、頼りにされる。赤黒い中に潤いがある。泥面(でいめん)や穢面(えめん)においては、鉄面と混同しやすい面色がある。つまり、泥面、穢面にはわずかな潤いさえなく、汚れたように、垢(あか)の溜(た)まったように、燻(くすぶ)ったように観える。
 

《穢色、泥色が常に現れている者は、他に良い相があったとしても生涯貧窮し、発展し難い》

以上の面色は、前談のように、汚れて、垢が溜まっているようで、下品でむさ苦しいように観える。一面に現れる。第一に、この血色はその当時に現れるものではなく、生まれつきの面色である。この人は生涯、住居が確定し難い。総じて観れば、「労して功なき相(≒何をしても報われない相)」である。だが、信心(しんじん、=神仏を信ずる心を持つ)し、陰徳を積む時は、必ず変化する
 

《一面に穢色が現れる時は、必死の窮厄(≒苦難)がある》

前談の如く、汚れたように、燻ったように観える。窮厄とは、災難が来たり、家業が破滅したり、貧者においては食が尽きたりする事であるが、何れにしても大凶である。ただし、他の相を観合わせて判断しなさい。もし病人にこの相が現れていれば、極めて切迫した状況である。
 

《一面に泥色が現れる時は、その当時は「負け組」の人である》

この泥色が現れる時は、災難に遭った後か、家業・家督で大きな損失があった後である。以上の血色は、始めは穢色として起こり、後に泥色となったものである。また、運気が強い人は、穢色のみで終わる事もある。穢色、泥色はよく心得て観なさい。ただし、この血色は常にある面色ではなく、その当時の凶によって現れるものである
 

《小児であっても、宗主となる時は、陽面の血色が良くなる》

たとえその家の主であっても、宗主にならぬ時は、必ず陽面の血色が悪い。陽面とは正面であり、世間を象徴する。陰面とは横面(=横顔)であり、陰(の事)を象徴する。ゆえに、小児であっても、宗主に成る時は表に立つ事になるゆえ、自然と正面の血色が良くなる。逆に、その家の主であっても宗主とならず、表に立たない人であれば、正面の血色は自然と悪い。貴賤に関わらず、以上に準ずる。
 

《面色をしばらく観ていても、一向に「冷める(≒白ける)」感じがない者は、心気が強く、運も強い。必ず発展し、人に重用される》

また、観始めた時は良く観えても、しばらく観た後に何となく「観冷め」する者は心気が弱く、根気が薄く、自然と大きく発展し難い。また、心気が強くとも不健康な者は、しばらく正面の血色を観ると、自然と白けて観える。だが、神(しん、≒神気)があり、心気が弱くても心中に悦びがある時は、面色は良く、観れども冷めず、という状態になる。逆に、神(≒神気)がない時は、心気が強い状態に似ているが、まるで城郭は堅牢であるが大将となる主君がいない城に等しい。
 

《面(≒顔)を青気(せいき)が奄(おお)う時は、必ず離縁がある》

顔が青ざめたように観える。青気とは言っても、元来は蒙色である。だが、ここで青気と言うのは、そう言った方が観易いからである。肝気が強く、気が塞(ふさ)がっている人も、面色が青ざめたように観える。この事を心得て観なさい。男女ともに同じ観方をする。
 

《乱心の相があったとしても、面に滞気が現れている者は、乱心とはならない》

以上の滞気とは、常に肝気が強い人がその肝気を抑え、内に留めている気が面部に現出したものである。滞気があると、自然と面色が重い。つまり、面色の容態(≒様子)によって、滞気か否かを観る。滞気とは、肝気を抑えるがゆえに気が内に鬱滞して、表に発せない状態である。よって、発狂(≒乱心)する事はない。
 

《貴人は面色(=顔色)が白いのを吉とし、下賤な者は面色が赤いのを吉とする》

元来、人は血脈によって生ずるものである。ゆえに、貴賤に関わらず、面色が赤いのは人の常である。また、貴人は天の徳を得る人であり、白赤いのを吉とする。つまり、「天は水を生じて万物を養う」という事が天の徳である。一方、下賤な者は地の徳を得る者であり、赤く黄ばむのを吉とする。つまり、「地より万物を育て、天の徳に報いる」という事が道理であり、地の徳なのである。
 

《面色が衰え大いに悪く観えても、法令線に潤色がある時は、必ずしも悪いとは判断しない。家業は繁盛している(図38参照)》

↑図38

 

《風当(ふうとう)・地庫(ちこ)・頤(おとがい)・胸(むね)・盗官(とうかん)の部》

《風当に潤色がある時は、必ず近日中に吉事を聞く(図39参照)》

↑図39「ここを風当と言う。耳の穴の際にあり、イボの如きものなり。」

以上の潤色が強く現れる時は、すでに吉事を聞いた後である。しかし、以上の潤色に少しでも悪色が相交わる時は、吉事を聞いたとしても障害があり、安定し難い。また、明らかな悪色が現れている時は、悪い事を聞く。
 

《地庫に澱色(でんしょく)がある時は、親類に災難がある。または、人の上に立っている者は、その支配下に公難がある(図40参照)》

↑図40

澱色とは、何色というわけでもなく、澱(よど)んだように現れる色である。また、暗気、蒙色、赤気が現れる事もある。さらに、何となく曇ったような色が現れる事もある。何れにしても、色が変じたり、澱んで(≒停滞して)いるように観える時は、親類や目下、部下に難がある。また、この血色は地庫の辺りに散ったように丸く、あるいは散り乱れたように現れる。
 

《胸が薄紅色のような時は、運が強い。相応の福分がある》

薄紅のような色に潤いが出る時は、金銭その他の事において、万事安定しやすい。だが、紅がらを塗ったように赤色が強い場合は、必ず下相である。よって、これを吉としてはならない。胸が白い者は心気が弱く、短命である。女で胸が赤い者は、夫を剋し(=害し)、大いに悪女である。
 

《盗官に暗点がある時は、すでに盗難に遭ったか、または失物(うせもの)があった、と観る(図41参照)》

↑図41

以上の暗点とは、米粒、あるいは麦粒ほどの大きさで、薄暗いものである。または、針の先で突いたくらいの大きさの赤色が現れる事もある。何れにしても、盗官の色が変じたり、障りがある時は、盗難・失物がある。ただし、以上の暗点は、盗難に遭うまでは、顴骨から暗気が出て盗官に伸びるだけである。すでに盗難に遭っている時は、以上のような暗点となり、盗官に留まる。盗難に遭うまでは、暗気は観定め難い。よって、盗難に遭った後の相をここに示した。よくよく心得なさい。顴骨は世間を司る。鼻は己の身体を象徴する。さらに、鼻の左右(≒盗官)は己の城郭であり、暗気は「暗ませる(≒眩ませる)色」である。つまり、「世間が己の城郭を暗ます(≒細工する)」の象徴であり、ゆえに盗難に遭う、と言う。
 

《気色と位の事》

一 大陰(=太陰)の気色がある者は、その当時は他に物を施す事をしていない。ただ貪(むさぼ)る事だけで、他人の明徳(=優れた品性)を覆い、他人の微悪を顕(あらわ)す事を好む。その気は満月中夜(まんげつちゅうや)に位置する。
 
一 大陽(=太陽)の気色がある者は、その当時は意志が強く、諸事は順調である。だが、盛んな者は必ず衰えるのが通例である。よく考えなさい。その気は日の天上中正(ひのてんじょうちゅうせい)に位置する。
 
一 小陰(=少陰)の気色がある者は、その当時は他人が衰える事を好み、他人の心を乱して貪る事を願う。その気は日昳黄昏(じってつこうこん)に位置する。
 
一 小陽(=少陽)の気色がある者は、その当時は寛然(かんぜん、=ゆったりと落ち着いている様子)としていて、志念は広大である。また、己は無欲であり、正しく他人を導き、諸事をより良くしてくれる。その気は平旦現上(へいたんげんじょう)に位置する。
 

南北相法後篇巻ノ一 終

 

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