南北相法巻ノ九(南北相法後篇巻ノ四) 


水野南北居士 著 

 《月割・日割の弁》

古書では、血色のみの判断によって百日以内に善事が起こるとか、七日以内に悪事が起こるなどという事を論じているが、この論は未だにその理屈を説明しきれていないゆえ、採用する事は出来ない。そもそも、人は天地と同体であり、気血は天地を運行する気に従って順行するものである。しかし、そうは言っても、天地には予測不能な変化がある。つまり、気候にはどうにも出来ない不順があり、人体の血色もその時々に従って変化するものである。そうであれば、どうして一時的な血色を観ただけで、何月何日には善事が起こるとか、悪事が起こるなどという事を、前もってはっきりと断言出来るのであろうか。出来るはずがない。私はこのような理由で長年この事に心力を尽くし、考えてきた。結果、血色で吉凶の日時を明らかにしようと思うならば、その血色に月割・日割を用いなければならない、という事を悟ったのである。もし、月割・日割を用いて血色を判断する時は、百回観て一度も的中しない、という事はない。今、この事を改めて踏まえてみると、古人がこの事を知らなかったとは考えられぬのである。つまり、物にはすべて体(たい)と用(よう)の二つがある。血色は吉凶を知る徴(しるし)であり、すなわち観相の体である。また、月割・日割は血色の意味を推し進めて明らかにするための用である。古人はその体を述べるだけで、その用を省略したのである。後人がこれを理解せず徒(いたずら)に、「血色だけで吉凶の日時を判断すべし」、としたのは大いなる誤りであった。私は多年の功力によって天地自然の理を極め、古人が未だかつて発表してこなかった教えを明らかにし、血色の観方に体用を備え、新たに月割・日割の図を製作する事が出来た。ともかくも、これが私が相法の世界において、古今無双の独立を果たした所以(ゆえん)である。 

《月割の図》

↑「月割の図」

この月割の穴所は、およそ曲尺(かねじゃく)二歩(にぶ)ほどの幅を、心の中で定規を定めるようにして一文字に観通し、その範囲内における吉凶を論ずる。
*曲尺二歩(かねじゃくにぶ)…曲尺とは、主に大工や建具職人が用いる直角に曲がった、金属製の物差しの事である。江戸期に普及した曲尺は、室町期に現れた鯨尺という呉服尺に端を発し、鯨の髭で作られたものが普及していたとされる。その長さは一尺二寸五分(=約38cm)とされた。この場合、二歩は二割の事であるから、38cmの20%で、約7.5cmとなる。また、当時の曲尺の長さは一尺(=約30cm)だという説もあり、この場合の二歩は6cm前後とも考えられる。しかし、実際の顔の大きさを考えてみれば、4~6cmくらい(=当人の親指2本分くらいの幅)が正しかろうと思う。 

《月の割り方を弁ず》

一 正月、九月は図のように、小鼻の根元から耳たぶの端までを一文字に観通して、判断する。左は正月、右は九月。
 
一 二月、八月は図のように、内耳の突起の前から小鼻の少し上までを一文字に観通して、判断する。左は二月、右は八月。
 
一 三月、七月は図のように、駅馬の官から眼の下を通り、鼻までの間を観通して、判断する。左は三月、右は七月。
 
一 四月、六月は図のように、額の両角から眉の中ほどまでを一文字に観通して、判断する。左は四月、右は六月。
 
一 五月は図のように、天中から印堂までを一文字に観通して、判断する。
 
一 十月、十二月は図のように、小鼻の際から口角を通り、顎の端までを一文字に観通して、判断する。左は十二月、右は十月。
 
一 十一月は図のように、鼻の下から顎の端までを一文字に観通して、判断する。 

《月の吉凶を弁ず》

一 もし、その月に該当する部位に潤いがあり美色に観える時は、良い月であると判断しなさい。逆に、潤いがなく淋しく観える時は、必ず悪い月であると判断しなさい。その月に該当する部位が良くも悪くも観えない時は、何事もない月であると判断しなさい。詳しい事については先に述べた八色を用いて、いかなる吉凶があるかを考え、判断しなさい。また、月割の部位に粟粒ほどの大きさの赤色が現れる時は、悪い月であると判断しなさい。必ずしも吹き出物とは限らない。しかし、その当時から二、三か月も先の部位に、以上の赤色が現れる時は、考慮してはならない。そうは言っても、その時々に応じ、その変化に応じて考え、判断しなさい。月割においては、傷、ホクロ、黒瘢(あざ)、癜風(でんぷう)の類は考慮してはならない。
*癜風(でんぷう)…癜(なまず)とか、黒癜(くろなまず)とも言う。デンプウ菌が皮膚に寄生して起こる皮膚病の一つで、淡い褐色の円形状の斑点が出るのが特徴である。白い斑点が出るものは白癜(しろなまず)と呼ぶ。 

《日割の図》

↑「日割の図」

この日割の穴所は図のように、鼻の根元を朔日(ついたち、月立ち→一日)とし、そこから順に繰り送り、その終わるところを晦日(つごもり、=月籠り→月末)とする。図は一カ月を三十日として分割してある。 

《日の吉凶を弁ずる》

一 美色であっても悪色であっても、月割の中に間を飛ばしたように現れる時は、その色の現れた部位が何日目にあたるかを考え、それにあたる日の吉凶を判断しなさい。美色が現れていれば吉日、悪色が現れていれば悪日である。また、良い月であっても悪日がある時は、その日にあたるところに、悪色が飛んでいるかのように点々と現れる。逆に、悪い月であっても吉日がある時は、その日にあたるところに、美色が飛んでいるかのように点々と現れるものである。以上の「美色が飛んでいるかのように」とは、例えるならば、木の葉に斑点が入っているかのように観えるものである。また、「悪色が飛んでいるかのように」とは、例えるならば、俗に言うそばかすのようではあるが、そばかすそのものというわけでもなく、ただ何となく、パッと観た時にそばかすのように観えるようなものである。あるいは、白胡麻の皮のように観える事もある。だが、その時々に臨み、その変化に応じて判断すべき時は、針の先で突いたような赤色や、今日ついた傷の類、その他、わずかな障りなどもすべて考慮に入れなさい。しかし、修行が足らないうちは考慮してはならない。修行の後は、臨機応変、如何様にでも考慮に入れ、判断しなさい。 

《四季の図》

↑「四季の図」

この四季の吉凶は、近くでジッと観ようとすると、必ず迷いが出て観定め難い。よって、三尺(約1m)ほど離れて観なさい。その色が美しく健やかであるか、逆に衰えがあるのかを観定め、四季の吉凶を判断しなさい。絶対に近寄って観てはならない。また、鼻は顔の中央にあり、四季の土用を象徴する。古書では、四季に対応する位置を方角としているが、方角だけを判断するわけではない。
*土用…各季節(立春、立夏、立秋、立冬)の前の十八日間の事。特に、夏の土用の事。  

《当時方角の図》

↑「当時方角の図」

この方角は、髪の生え際から両眉までの間を基準として、図のように丸く判断しなさい。その丸の中に東西南北の方角を配しなさい。髪際から眉まで(=額)の間が狭い者においては、図の丸を小さく取り、逆に広い者においては、図の丸を大きく取る。だが、必ず基準の丸を逸脱してはならない。また、前述のように、美色が現れている方角を良い方角と判断し、逆に悪色が現れている方角を悪い方角であると判断する。そうは言っても、時勢の変化に応じて判断する時は、粟粒のような赤色や、その当時ついた幽かな傷、その他少しの障りであっても、考慮しなさい。しかし、修行が足らぬうちは考慮してはならない。ただ、吉凶についての色のみを判断しなさい。 

《方角十二支の図》

↑「方角十二支の図」

詳細な方角を知ろうと思うならば、この十二支の図を用いて判断しなさい。 

《万法(ばんほう)方角の図》

↑「万法方角の図」

↑図A「親指の腹の大きさで丸く判断する。」

この方角の穴所の広さは、観相を望む人の親指の腹の広さ(図A参照)を基準とし、図のように丸く取りなさい。 

《方角穴所の図》

↑「方角穴所の図」 

《方角穴所を弁ず》

一 主人や目上の事は主骨の官において、東西南北の方角を取る。
 
一 親類の事は兄弟の官において、その方角を取る。
 
一 望み事は印堂の官において、その方角を取る。
 
一 恋人、妻の事は妻妾の官において、その方角を取る。
 
一 世間の事は顴骨の官において、その方角を取る。
 
一 子孫や目下の事は男女の官において、その方角を取る。
 
一 家業(=職業)の事は法令の官において、その方角を取る。
 
一 他国(≒遠方、旅行先)の事は辺地の官において、その方角を取る。
 
一 家の事は地閣の官において、その方角を取る。
 
一 家来(≒部下、使用人)の事は奴僕の官において、その方角を取る。
 
一 医者のいる方角については、病人の命宮の官を観て、その方角を取る。
 
一 金銭の事は福堂の官において、その方角を取る。
 
一 家督の事は食禄の官において、その方角を取る。 

《方角の吉凶》

前述したように、美色が飛んだように現れた方角を良い方角と判断し、逆に、悪色が現れた方角を悪い方角と判断する。また、臨機応変に判断すべき時は、幽かな徴(しるし)であっても、その方角の吉凶の判断に用いる事がある。しかし、修行が足らぬうちは頻繁には用いず、ただ善悪の色のみを判断しなさい。この書における方角穴所の意味については、おおまかな事のみを記した。ゆえに、以上の穴所においては心を深くして、詳しく判断しなさい。いいかげんに判断する時は、必ず観間違える。前篇骨格の論を参考にして、詳細に判断しなさい。
 
古書においては、「面部一面(=顔一面)でその方角を判断する」としているが、それでは大雑把過ぎて、正確に判断し難い。例えば、親類が原因で東方から善事が来る、子孫が原因で東方から悪事が来る、妻(≒恋人)が原因で東方から善意が来る、家宅が原因で東方から善事が来る、などのように、同時に東方からの善事と悪事が重なって起こる場合などは、面部一面の方角だけでは、正確に判断し難い。ゆえに、前述のように詳しく記した。よくよく心を留め、学びなさい。
 
また古書においては、「面部だけで判断出来ぬ事はない」として、面部に百三十穴を選んでいる。この百三十穴は、万事の判断が出来るようになっている。私も若年から相法だけに心魂を凝らし、諸国遍参の折、東国において観相の達人に出逢い、以上の百三十部位による判断法をすべて教授して頂いたのだが、未だ中途で完全に理解出来ていない。ゆえに、門人の諸君は丹心を錬って(≒鍛え)、以上の百三十部位を用いて判断する方法を自得してもらいたい。 

《正五九月(一月、五月、九月)の図》

↑「正五九月の図」

この図面の部位の血色が悪い時は、その年は大凶である。また、その部位の肉付きがゆるみ、衰える時は、必ず年内に死ぬ。
 
正月(=一月)、五月、九月は、一年を三等分した場合、すべて五番目の月にあたる。つまり、「正月、二月、三月、四月、五月。五月、六月、七月、八月、九月。九月、十月、十一月、十二月、正月。」となる。これらがすべて五の数に合っているため、正月、五月、九月を天人地の三位(≒三才←以前説明したので省略)に象(かたど)るのである。また、三位の五行に配当する。このため、正月、五月、九月を慎んで祝う時は、自ずから災いを避ける事が出来る。運気が悪い年は、必ず正月、五月、九月に障害がある。人面において判断する場合、正月、九月は頬骨の下、頤(おとがい、あご)の上下の合わせ目にある。つまり、正月は少陽(=小陽)、九月は少陰(=小陰)となる。また、五月は太陽(=大陽)、督脈上(=正中線上)にあり、人面左右の合わせ目にある。ゆえに、この三つは面部における一大事の部位である。よって、この三カ月に対応する部位の血色が悪い時は、その年は大凶なのである。また、その部位の肉付きがゆるみ、際立って血色が悪化した時は、必ずその年に死ぬ。修行が足らぬうちは、この相法を用いてはならない。 

《二八月(二月、八月)の図》

↑「二八月の図」

この図面の部位の血色が衰える時は、その年の内に必ず大難がある。また、その部位の肉付きが枯れ、衰える時は、必ず年内に身が亡ぶ。
 
二月、八月は面部十二支の東西に位置し、三陰三陽の官にあたる。上は南方、太陽(=大陽)で、二月、三月、四月、五月、六月、七月、八月、下は北方、太陰(=大陰)で、八月、九月、十月、十一月、十二月、正月、二月に対応する。これらは七カ月ごとに入れ替わる。つまり、陰の七カ月、陽の七カ月である。例えば、人が生まれてからの七夜(=生後七日目、御七夜)を「一七夜(ひとしちや)」と言う。これはつまり、陽の七つである。また、人が死んでから七日を経たもの(=死後七日目、初七日)を「一七日(ひとなぬか、ひとなのか)」と言う。つまりこれは、陰の七つである。ゆえに、七という数は、善悪ともに成就する時の数である。また、小児が大人になる時は、面部の中央である二月の官と八月の官から、天地に開けていくものである。上は南方、陽、「達伸(たちのびる)」の意があり、下は北方、陰、「沈降(しずみのびる)」の意がある。よって、二月の官と八月の官は陰陽の只中(ただなか、正中)であり、樞機(すうき、=要)の部位である。ゆえに、小さな善事が起こる相であったとしても、二月の官、八月の官が明るく、潤いがある時は、大きな善事となる。逆に、小さな悪事が起こる相であったとしても、二月の官、八月の官に潤いがなく、曇りがある時は、大きな悪事となる。それは、身が亡ぶほどの悪事である。修行を積んだ後に、この相法を用いなさい。そうすれば、必ず的中する。この相法は、未熟な時に用いた場合は必ず人を惑わす事になるゆえ、慎みが必要である。
*七夜(しちや)…仏教用語で、生後七日目の夜。御七夜、枕下げなどとも。「七夜の祝い」とは、この日に行う祝儀の事で、命名はこの日に行うのが通例である。
*七日(なぬか)…仏教用語で、死後七日目。仏教においては、死者は七日ごとにあの世で裁きを受けるとされる。つまり、初七日(しょなぬか、しょなのか、死後七日目)、二七日(ふたなぬか、ふたなのか、死後十四日目)、三七日(みなぬか、みなのか、死後二十一日目)、四七日(しなぬか、しなのか、死後二十八日目)、五七日(ごなぬか、ごなのか、死後三十五日目)、六七日(むなぬか、むなのか、死後四十二日目)、七七日(なななぬか、なななのか、死後四十九日目)の日が該当する。生者が七日ごとに法要を行えば、死者の罪が軽くなると信じられている。初七日から七七日までを中陰(≒中有)、七七日を満中陰(≒尽中陰、正日)と呼ぶ。また、初七日は死者が三途(さんず)の川に到着する日、七七日は死者の転生(てんせい、てんしょう)が決定する日(=忌明け)とされる。
機(すうき)…枢機とも。大切な所。真ん中。區(く)は開き戸が開閉する軸の部分の事で、イメージとしては、クルッと変化する場所である。ここで言うと、陰陽が入れ替わり始める部分の事である。原文では「機ノ所」と記されており、「機(ハゲシキ)」と振り仮名がある。
*六道(ろくどう)と浄土(じょうど)…仏教において生命体が住む世界は、大きく分けて二つあるとされる。一つは、輪廻転生を繰り返し、煩悩が付きまとう六道(ろくどう、=六つの世界、六趣、六界)である。そして、もう一つは、輪廻転生や煩悩から解脱した浄土(じょうど、=極楽浄土)である。六道は大きく分けて三悪道と三善道があり、三悪道で最悪なのが地獄道(大罪を犯した者が転生する世界)、二番目に悪いのが餓鬼道(欲望に溺れた者が転生する世界)、三番目に悪いのが畜生道(悪業の程度が軽い者が転生する世界)とされ、三善道で最高なのが天道(前世で多くの徳を積んだ者が転生する世界)、二番目に良いのが人道(我々が住む人間界、六道輪廻から脱却しやすい世界)、三番目に良いのが修羅道(阿修羅つまりは羅睺羅が住む世界、許す心をなくした者が転生する世界)である。浄土は極楽浄土とも呼ばれ、文字通り楽しみを極めた、穢れなき世界である。また、六道輪廻の世界から抜け出せた者だけが辿りつける世界であるとされる。さらに、あらゆる欲望や煩悩、苦しみなどから脱した世界で、仏道修行に専念できるように、仏が用意した最高の世界であるとされる。 

《他身(たしん)五臓の図》

↑「他身五臓の図」

↑図B

この他身五臓の穴所の広さは、前述の如く、観相を望む人の親指の腹の広さ(図B参照)を基準とし、図のように丸く判断する。 

《五臓穴所の図》

↑「五臓穴所の図」 

《他身五臓の吉凶死生を弁ず》

一 他身五臓とは、例えば親を観て子の病気の吉凶を知る事である。また、五臓のうち、どの臓から病を生ずるか、どの臓が健やかで、どの臓が衰えているのか、についてのみを判断する伝法である。
 
一 家来の相を観て主人の病気を知る時は、その家来の主骨の官において、図のように五臓を配分し、その色の澱む部分を観て、どの臓に衰えがあるかを知る。その澱んだ色の吉凶によって、病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
 
一 親戚の相を観てその身内の病気を知る時は、その親戚の兄弟の官において、図のように五臓を配し、その色が澱む部位でどの臓に衰えがあるかを考え、その色の吉凶によって病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
 
一 夫の相を観て妻の病気を知る時は、その夫の妻妾の官において、図のように五臓を配し、その色が澱む部位でどの臓に衰えがあるかを考え、その色の吉凶によって病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
 
一 子の相を観て親の病気を知る時は、その子の日月の官において、図のように五臓を配し、その色が澱む部位でどの臓に衰えがあるかを考え、その色の吉凶によって病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
 
一 主人の相を観て家来の病気を知る時は、その主人の奴僕の官において、図のように五臓を配し、その色が澱む部位でどの臓に衰えがあるかを考え、その色の吉凶によって病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
 
一 妻の相を観て夫の病気を知る時は、その妻の官禄の宮(きゅう)において、図のように五臓を配し、その色が澱む部位でどの臓に衰えがあるかを考え、その色の吉凶によって病気の善悪と死生を考え、判断しなさい。
 
他身の五臓の衰え、病気の観方は、例えば自分の主人に病気がある時は、自分の主骨の血色が自ずと衰える、という事である。また、澱んだような色は、別に現れるものである。よって、その澱んだ色がどの臓に該当するのかを観定め、その臓を患う事を判断しなさい。以上の事はすべて、この理に準じており、他身(=他人)の病気や、五臓の衰えを知る事が出来る。図をよくよく照らし合わせて観なさい。
 
また、病人が快方に向かう前は、その穴所に自然と潤いを生ずるものである。逆に、死ぬ前は、その穴所の肉付きが枯れたように観え、その潤いを失う。しかし、他身の病気の事は、修行が足らぬうちは観定め難い。修行の後は、観易いものである。そうは言っても、親戚、夫婦、主従の類であっても、その病人に対して実(まこと、≒誠意)がある人は、その相がはっきりと現れるが、逆に、実がない人は、その相がはっきりと現れ難い事がある。
 
さらに、極めて老体(=高齢)の親が死ぬ時は、日月の官の肉付きが衰えはするものの、その潤いを失う事はない。(介護から解放されるゆえか、)自然と喜びの色が生じているものである。
 
また、親子、兄弟、夫婦であったとしても、長病で難渋した人が死ぬ時は、その穴所の肉付きが衰えはするものの、その潤いを失う事はない。(看護から解放されるゆえか、)自然と悦びの色が生じている。よって、この血色を観ても、迷ってはならない。ゆえに、人は親戚、他人の区別なく、実意(じつい、≒誠意)を尽くしたいものである。これはつまり、自分が不実(ふじつ、≒不誠実)である事を他人は知らぬ、と思い込んでいるわけであるが、天道(≒神)は幽暗(ゆうあん、=人が隠している部分)を照らし、自然と血色に現わすのである。これを恐れ、慎まずにいられようか。
 
兄弟の官においては図のように、眉の上下で、眉の生え際で判断する。だが、眉の真ん中は脾臓を配す。また、目の下を指で押し、骨がない部分を男女の官と定める。 

《家宅の図》

↑「家宅の図」 

《家宅の弁》

家宅の穴所は、口の左右の角を基準にして判断する。口の左右の角から下へ一文字に観通し、その中に家造(やづくり、=家の構え)を定める。下唇の際を家の棟(むね、屋根の頂点)とし、左を家の表側、右を家の裏側とする。さらに、家造の外際を地面とする。頤(おとがい、=あご)の端面は家の横の地面、あるいは溝、廂間(ひあわい、ひあい、家と家の間の隙間)などと判断する。
 
一 奥間が明るい家に住む者は、図の家造の奥間と思われる部分が、自然と明るい。逆に、中の間が暗い家に住む者は、図の家造の中の間と思われる部分が、自然と暗い。また、引っ越す時は、図の家造の部分の肉付きが動くように観え、自然と暗い。さらに、水気が多い所に住む者は、その家が自然と水気を含んでいるため、図の家造の部分が自ずと暗い。
 
一 敷地内にある井戸の水が悪いか、新たに井戸を掘るか、庭に築山(つきやま)や池などがあるか、家に破損があったり、家内に病人がいるか、門前において災いがあるか、その災いが家内に及ぶか、家の子供が育たないか、陽気ない家か、陰気な家か、汚らしい家か、清く美しい家か、敷地内や家内に神仏の祠(ほこら)や(づし、ずし)などがあるか、敷地内に石碑の類があるか、水はけが悪いか、その他、家造や地面の部位における目立つ障りについても、以上の家宅の伝を用いて考え、観るならば、一つとして解らぬ事はない。しかし、これらの相は、その家の主(あるじ)以外には現れない。決して、妻子や下男、下女の輩には現れない。以上の家宅の相には少し口伝があるが、後学の者であっても、よく丹心を錬り琢磨の功を積むならば、自然とその奥義を悟るゆえ、口授には及ばぬであろう。その人を観て、その事に適する事を判断しなさい。
(ずし)…神体や仏像を安置する箱。舎利や経典などを安置する厨子(ずし)に等しいものと思われる。 

《流年(りゅうねん)一歳から二十歳までの図》

↑「流年一歳から二十歳までの図」

図のように、髪の生え際から両眉までの間を二十歳と定める。この法は、両眉の頭を基準として、そこから上へ一文字に観通したその内側で判断する。その外側は判断しない。また、眉毛が濃く、眉頭を基準にし難い時は、その人の親指を両眉の間に立て伏せて、その幅を基準として判断する。 

《流年二十一歳から四十二歳までの図》

↑「流年二十一歳から四十二歳までの図」

図のように、両眉から鼻先までを四十歳とし、左の小鼻を四十一歳、右の小鼻を四十二歳と定める。前述の如く、両眉から左右小鼻の際までを一文字に観通し、これを基準として、その内側で判断する。決して、外側では判断しない。 

《流年四十三歳から六十歳までの図》

↑「流年四十三歳から六十歳までの図」

図のように、鼻の穴の際から頤の端面までを六十歳と定める。前述の如く、左右小鼻の際から口の両角までを一文字に観通し、これを基準として、その内側で判断する。また同様に、口の両角を基準として頤の端面までを一文字に観通し、その内側で判断する。決して、外側では判断しない。 

《流年六十一歳から八十歳までの図》

↑「流年六十一歳から八十歳までの図」

図のように、六十歳の部位の外際から、左右耳たぶの際までを八十歳として分割して上る。人は、一歳から生涯六十歳までは陽人である。ゆえに、上停から始まり、陽面(=正面)の太陽(≒督脈)に現れる。だが、六十歳から後は陰人である。ゆえに、下停の終わりから始まり、陰面(=横面)に現れる。また、六十歳から後の流年は、元の一歳に返ると言うが、陰人の流年が陽面に現れるはずがない。八十歳から後の流年については、私にもわからない。 

《一歳から二十歳までの四季の図》

↑「一歳から二十歳までの四季の図」

図のように、流年一カ年の内において四季を配し、その吉凶を観る。例えば、ほくろや傷などの障りがある部位は凶、障りがなく肉付きが健やかに観える部位は吉、である。 

《二十一歳から四十二歳までの四季の図》

↑「二十一歳から四十二歳までの四季の図」

前段と同様に配し、その吉凶を判断する。 

《四十三歳から六十歳までの四季の図》

↑「四十三歳から六十歳までの四季の図」

前段と同様である。 

《流年十二か月の図》

↑「流年十二か月の図」

この十二か月の観方は、上停のみの図を記す。よって、二十一歳から四十二歳までは中停、四十三歳から六十歳までは下停において同様に配し、判断しなさい。修行が足らぬうちは、鼻の先における十二か月は観定め難い。よって、修行が足らぬうちは、四季の吉凶のみを判断しなさい。また、小鼻も四季の吉凶のみを取りなさい。
 
流年を正確に判断する場合、一歳から二十歳までの間を観合わせたそのちょうど真ん中を十歳と定め、一歳から十歳までの間を観合わせたそのちょうど真ん中を五歳と定め、十歳から二十歳までの間を観合わせたそのちょうど真ん中を十五歳と定める。六十歳までも、同様にして分割する。そうすれば、少しも間違った判断をする事はなく、詳細に判断出来る。決して粗忽(そこつ)に分割してはならない。もし、粗忽に分割する時は、大いに判断を間違える事がある。
 
一歳の穴所は図のように、髪の生え際とする。そして、両眉の真ん中を二十歳とする。真ん中から上は十九歳とし、真ん中から下は二十一歳とする。四十歳は図のように鼻先とする。小鼻は四十歳とはしない。なお、鼻先がうつむいた人は、四十歳の穴所が格別に広い事があるが、特に問題はない。左右の小鼻は四十一歳、四十二歳と判断しなさい。四十三歳は鼻の下、鼻の根元を横一文字に観通して判断しなさい。四十七歳は図のように、上唇の赤い所と白い所の間で判断する。ただし、口の左右の角までを観通して判断しなさい。また、上唇の赤い所を四十八歳、下唇の赤い所を四十九歳と判断しなさい。下唇の赤い所と白い所の間は五十歳と判断しなさい。これも前述の如く、左右の口の角までを観通した上で判断しなさい。六十歳は頤の端面の下へまわる部分の角で判断しなさい。六十一歳から八十歳までは、以上の如く、頤の端面の下へまわる角を左右の耳たぶの際まで分割して上がり、判断しなさい。 

《流年吉凶の事を弁ず》

一 流年の穴所において、ほくろや傷があれば、それがある年が凶年であると判断する。また、大きなほくろや傷は、必ずしも考慮に入れるわけではない。だが、心にピンとくるものがあった時は、考慮に入れなさい。切り傷、突き傷は考慮に入れない。自然と生じているようで、幽かな傷を判断しなさい。また、疱瘡の痕は判断しない。総じて、ほくろや傷の類は、小さく目立つものを考慮に入れ、大きなものは考慮に入れない。流年の穴所に、幽かな筋(すじ)が鋭く斜めに横たわる時は、この年を凶年と判断しなさい。しかし、その筋が二、三歩(約6~9mm)もある時は、(筋が上下の年にまで及ぶため、)筋が該当する年を観定め難い。その場合は、その筋の中程を取り、その年を判断しなさい。また、流年においては、必ずしも紋や筋を考慮に入れるわけではないが、前述のような幽かで、鋭く目立ち、横斜する筋が現れた時は、速やかに判断するのである。流年の穴所において、ほくろや傷、その他の障りがない時は、何事もない年であると判断する。悪い事があっても、大した事ではない。また、流年の穴所にほくろや傷などの障りがなく、肉付きが健やかで満ちたように清く観える時は、その年は大いに良いと判断する。流年の穴所にほくろや傷などの障りがないにも関わらず、長年困窮している者がいるが、その場合は必ず流年の穴所が尽(ことごと)く枯れ衰え、肉付きが自然と淋しく観えるものである。この事を心得た上で、流年の吉凶を判断しなさい。
 
一 流年の穴所にあるほくろは、愁い、あるいは難があると判断する。また、傷は災い、あるいは失敗があると観る。流年の穴所の肉付きが枯れ衰えたように観える時は、その年内に大いに零落(おちぶ)れる。その他、少しの障りが観える時は、少しの災いがある年と判断しなさい。だが、愁い、災い、失敗、難、悦びなどについて、多くを語ってはならない。ただ、年の善悪についてのみを語りなさい。修行の後、詳しく語りなさい。流年については少しの口伝があるとは言っても、よくよく考えるならば、自然と自得出来るであろう。流年の穴所において、肉付きが変化するように観える時は、その年内に変化する事がある。住居が変わるか、家業が変わるか、あるいは己の容姿が変わるか、何れにしても、変化する事がある。 

《流年四季十二ヶ月を弁ず》

一 流年一ヶ年の内において、四季十二ヶ月(=一カ月ごと)の吉凶を論ずる時は、ほくろ、傷、その他障りがある部位を観定め、その障りが何歳の何月にあたるかを詳しく観て、その凶悪を判断しなさい。また、善事がある場合も同様に判断しなさい。もし、十二ヶ月(=一カ月ごと)の吉凶が観えぬ時は、四季の分割によって判断しなさい。しかし、男女ともに、太陰、太陽、少陰、少陽の人がおり、四季十二支の巡り方が異なる。太陽の人(≒男)は左から巡り始める。太陰の人(≒女)は右から巡り始める。他もこれに準じて、よくよく考え、用いなさい。修行が足らぬうちは、流年の四季十二支を多く判断してはならない。ただ、その年内の吉凶のみを語りなさい。そうすれば、流年においては、一つとして的中しない、という事はない。また、骨形(こっけい、≒骨格)において生涯悪い相があったとしても、生涯の流年が良い時は、その流年について語りなさい。流年は生涯の吉凶を司る。ゆえに、少年期に良い者は、少年期の流年が自ずと良い。また、老年期に悪い者は、老年期の流年が自ずと悪い。だが、仮に流年がすべて悪く、生涯困窮する相があったとしても忠孝、陰徳、節倹(せっけん、節約と倹約、=始末)、明理(みょうり、=冥利)の心がある者は、必ず天理(=天の道理)に協(かな)い、自ずと天の助けを受ける事が出来る。よって、忠孝、陰徳、節倹、明理の心がある者については流年が悪くとも、みだりに判断してはならない。また、心気(≒神気、雰囲気)が強い者は、流年に大難の相があったとしても、必ず小難となる。心気の強さは、父母、先祖の徳である。よって、流年が良い者は、元来、父母、先祖に徳があったと言える。しかし、流年が良くても、生涯困窮する者がいる。この人は必ずと言ってよいほど、忠孝、陰徳、節倹、明理というものを知らぬ(→良き神仏にも縁がない)。つまり、元から、父母、先祖の徳に感謝出来ぬ人である。ゆえに、この人は天理、相法に協わぬゆえ、論ずる価値さえない。このような者については、良い流年は大いに悪いと判断しなさい。そうすれば、万に一失もない。
 
生涯の流年がすべて悪く、生まれてからずっと、大いに困窮する相があったとしても、後に忠孝、陰徳、節倹、明理の心が起こり、父母、先祖の徳に感謝するようになったならば、必ずそれから三年以内には、悪い流年が尽(ことごと)く変化し、善(よ)い流年となる。これによって、私の忠孝、陰徳を勧めているわけではない。私は若年から相法に強く心が魅かれ、数万人の相を観てきたわけだが、それまでは忠孝、節倹、陰徳、明理の事を知らなかったため、悪い相が良い相に変じる事を信じられず、観相という業を止(や)めたいと思った事も何度かあった。だが、最近になってようやく、忠孝、節倹、陰徳、明理によって悪相が善相へと変ずる事を知った。ゆえに、ここにその事を記したのである。
 
仮に明哲(めいてつ)の相者がいて、三年後に大難が来る事を観破したとしても、その頃から観相を望んだ者に忠孝、明理の心が起こったならば、その相者は必ず齟齬(そご、=誤判断)した事になるであろう。また、善い相を観て善い生涯である、と判断したとしても、その頃から観相を望んだ者の心が変化し、徳義を失ったならば、その相者も必ず齟齬した事になるであろう。ゆえに、観相においては忠孝、節倹、陰徳、明理のある人については、善悪を判断し難いものである。だが、これらは無相(≒無双)の相者にとっては、まさに青天の雲行きを観て三日後の雨を観抜くに等しい。
 

南北相法後篇巻ノ四 終

 

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