「当帰(トウキ)」という生薬自体は、日本でも比較的認知されているが、その名称の正確な由来や効能については、ほとんど知られていない。

 

日本のウェブ上で散見される中薬(漢方)に関する情報は、中医鍼灸関連と同様、勘違いや妄想によって生じたと思しき内容が非常に多い。

 

特に、生薬に関しては、神農本草経や本草綱目の内容さえ参照せず、素人が専門家を装って記したような文章が多々あり、Wikipediaなどで一見学術的な内容にみえたとしても、実際には出鱈目な誤情報であることが少なくない。おそらく、日本では、現在に至るまで、中医経典がまともに翻訳されてこなかった影響と思われるが、とにかく、中医、鍼灸、中薬(漢方)に関する誤解が超絶に多い。日本ではほとんど知られていないが、生薬に関する経典は、神農本草経や本草綱目以外にも、本草正、本草正義など、無数に存在する。

 

当帰は、古くは『神農本草経』に記載があり、乾帰、山蕲、白蕲、文無などの別称がある。主な産地は、中国甘粛省定西市の南部に位置する岷(ミン)県である。

 

岷県はチベット高原(青藏高原)の下部、海抜2,040~3,754mの高さに位置する。また、標高が極めて高く、高原性大陸気候に属するため、低温で乾燥しており、多くの中薬材料の主産地となっている。当帰以外にも、黄耆や紅耆、堂参、丹参などの高級生薬を含む、230種余りが栽培されていると言われている。この地での生薬栽培の歴史は1700年前まで遡り、当帰栽培は1500年ほど続いているらしい。岷県産の当帰は「岷归(岷帰)」と呼ばれ、中国で最も良質な「妇科圣药(婦科聖薬)」として、高額で取引されている。

 

当帰という名称の由来は諸説ある。

 

唐朝期、岷県付近は「当州」と呼ばれ、当州では当帰を「蕲(qí)」と称し、「蕲」と「归(帰)」の発音が押韻であったため、当帰と称された、という説がある。

 

また、当帰という二字には「应当归来(元の場所へ帰るべきだ)」と言う意味がある。

 

李時珍は、本草綱目に「当归调血,为女人要药,有思夫之意,故有当归之名。(当帰は気血を調整する作用があり、女性に重要な薬である。「嫁ぎたい」という意味があり、当帰という名前の由来になった)」と記している。さらに、李時珍は「胡麻好种无人种,正是归时底不归(胡麻を植える最適な季節が来たが、男性は戦いのために外出しており、植えてくれる人がいない。嫁ぐべき時に男性が帰って来ないから、女性たちは嫁げない)」という、宋代に詩人の汪氏が記した『寄良人』引用し、当帰が女性本来の身体機能を蘇らせる良薬であることを明示している。

 

また、宋代に名医と称された、陳承は、当帰には気血の不調や、出血に由来する病に対する効能があり、気血を本来あるべき部位に戻す作用があるがゆえに、当帰と称された、と主張している。

※中国語の「当」には「する、〜したい」、「归(帰)」には「戻す、嫁ぐ」の意味がある。Wikipediaの当帰の項目には『寄良人』に記された上記一文を引用、翻訳したと思しき内容が記されているが、原文や出典も記されておらず、明らかな誤訳である。

 

伝統的な中薬方剤の多くは当帰を用いており、「十方九归(10種の処方があれば、その内9種は当帰を用いている)」という言葉もある。また、当帰は婦人科疾患において著しい効果がみられるため、「薬王」とも称されることがある。

 

当帰には、主に活血、補血(造血)、抗腫瘍、抗酸化、抗炎症、鎮痛などの作用がある。特に、生理不順、早発閉経、更年期障害、生理痛、産後鬱などに対する効果が高いとされ、当帰に地黄(ジオウ)、芍薬(シャクヤク)、川芎(センキュウ)を加えた、四物湯(スーウータン)と呼ばれる処方がよく用いられる。その他、挫傷や瘀血、関節痛、痺れ、可動域障害に用いられる、蠲痹湯(ジュアンビータン)という処方にも当帰が含まれているように、当帰は補虚にも適しており、血虚に起因する顔面蒼白、倦怠感、めまい、耳鳴り、動悸、皮膚の乾燥、手足の冷えなどにも用いられる。

 

例えば、産後や大量出血後の血虚には、当帰10g、割いたナツメ5g、氷砂糖5g、水適量を加えて煮出した汁を毎日1回服用すると、回復が促進されると言われている。

 

婦人科疾患に適した補気血作用のある生薬は、当帰以外にも、熟地(ジュクジオウ)、白芍(ビャクシャク)、阿胶(アキョウ)、何首鳥(ツルドクダミ)、枸杞子(クコノミ)などがあるが、生薬は乱用したり、誤って用いれば、副作用が見られる可能性があるため、個々人の体質や症状に応じて用いなければならない。特に、妊産婦や授乳期の女性、出血傾向や肝機能障害のある患者には慎重に用いる。

 

当帰を用いる場合は、適切な食事や、適度な運動を組み合わせることで、生薬本来の補気血作用を高めることができるが、用法や用量を過度に誤った場合や、生薬の成分が体質や既往症に適していない場合は、副作用が起こる可能性があるため、中薬に精通した医師や、薬剤師の指導の下、十分に注意して用いることが肝要である。