日本の古い鍼灸書に、折鍼事故の実例が20名余りの鍼灸師によって赤裸々に記されている。
主に昭和中期の話だが、当時は銀鍼か鉄鍼が主流で、ディスポ鍼が出現していなかった。それゆえ、特に細い鍼を好む日本鍼灸界においては、折鍼が珍しくなかった。その原因の1つとされているのが「すべり」と呼ばれる、鍼表面の摩擦係数を下げるために鍼体に水銀を塗布する技法で、これが鍼の電蝕を引き起こし、多くの折鍼事故を招いたと言われている。
昭和30年代には様々な公害病によって、水銀が有害であることが世に知られたが、池田良一氏が昭和47年10月の寄稿に「折針事故防止には、水銀、スベリ等を一切やめる事が大切だと思う」と記しているから、水俣病が認知された後も、日本鍼灸界では鍼体に水銀を塗布していた鍼灸師が少なからず存在していたと推察される。 現在ではこのような過去を知る鍼灸師も減ったが、言わば日本鍼灸界の黒歴史の1つである。
また、かつて、多くの鍼灸師が偶発的な折鍼を「折針(埋没)療法」と称して、己の過ちを正当化しようとした黒歴史も日本鍼灸界には実在する。 折針療法に関して、木下晴都は「針灸界をあげて、断乎排撃しなければならないし、針術の範囲外として法的にも制定する必要がある」と批判していた。
ちなみに、中国鍼灸学会副会長、張仁の『针灸意外事故防治』(上海科学技術出版社、2004年)によれば、当時、中国に比べ、日本における折鍼事故の発生率は非常に高く、その主な要因として、鍼体に水銀を塗布していたことや、電蝕を起こした鍼を電鍼に使用していたこと、一部の流派が折針(埋没)療法を用いていたことなどを挙げている。また、張仁によれば、朝鮮でも同様に折針(埋没)療法が行われていたという。
『医道の日本』で2003年に報告された、「欧米と日本における鍼灸の有害事象の症例報告」によれば、欧米で発生した刺鍼事故(臓器損傷)は30件(1981-1994年)、日本に発生した刺鍼事故は68件(1978-1999年)であった。調査期間が大きく異なることや、分母となった調査対象が不明であるため、比較調査としては大いに正確性に欠けているが、日本の症例の多くは埋没鍼であると記されている(『医道の日本 第711号 (平成15年2月号) 2003年』)。
手術による折針摘出は極めて困難とされているが、昭和38年6月に今村二三男氏が寄稿した実体験が有効とされている。 折鍼部位の上部と側面から、指標として数本刺鍼し、X線で鍼の位置を確認しながら、その鍼と折鍼との交差点または距離を測れば、折鍼の部位が明瞭となり、メスを入れる範囲が最小限で済む。つまり、鍼の杭を打ち、杭と杭の狭い範囲の中に折鍼を捕えるという方法である。
また、三石成顕氏は昭和37年6月の寄稿で、2寸7番の銀鍼を妻の足三里へ刺鍼し、5cmほど刺入した状態で折鍼、吸玉等で試行錯誤し、48時間後にピンセットで無事抜鍼した例を記している。
電鍼においては通電率が100%、直流になると電蝕が起こり、折鍼しやすくなる。 通電時間を極力短くすることや、電圧に耐え得る太めの鍼を用いること(芹澤勝助は10番以上のステンレス鍼を推奨しているが実用的ではない)、鍼は使い捨てとすることなどは電鍼の基本である。 昔はイオン化傾向の小さい白金、金鍼が電鍼に相応しいとされたが、パルス幅が狭ければ、ステンレス鍼でも比較的安全に用いることができる。
現代でも、日本では「補気」や体を温める作用が強いなどと称して、細い銀鍼を好んで用いる鍼灸師や、ケチって単回使用と指定されているディスポ鍼を滅菌し、複数回使用する鍼灸師が少なく無い。 日頃からリスク管理を徹底していても、誰にでも刺鍼事故は起こり得る。100%事故を起こさない、ということは難しい。 しかし、対策を怠っていれば、事故が起こる可能性は自ずと高まるから、可能な限り、日頃から出来得る限りの安全策を講じておかねばならない。