現代人は運動の過不足、精神的ストレスの増加、食生活の変化などにより、日々様々な身体の不快感や疼痛に悩まされている。特に、ここ十数年、パソコン作業の増加によって、臀部痛や下肢の異常感を訴える患者が増えてきた。
下肢のしびれは、腰椎変性による馬尾神経の圧迫によっても起こるが、殿筋の慢性的な炎症や萎縮、筋膜、神経、血管、骨膜周囲の癒着による神経症状もよくみられる。
例えば坐骨神経の支配領域に沿って現れる疼痛やしびれは、一般的には糖尿病やビタミン不足、重金属中毒、椎間板ヘルニア、変形性椎弓間関節症、脊椎分離症、脊椎すべり症、脊柱管狭窄症、前立腺腫瘍、子宮内膜炎、股関節脱臼、骨盤骨折、骨盤骨腫瘍、外傷、梨状筋症候群などが主な原因とされる。病院では原疾患があればその治療が優先されるが、疼痛やしびれに関しては、鎮痛消炎剤や筋弛緩剤、ブロック注射などによる薬物療法など主となる。しかし、実際のところ、坐骨神経痛を訴える患者が有名な某整形外科にて受診し、ブロック注射を50回ほど打ったものの、ほとんど改善せず、当院で鍼施術した結果、数回で完治した例がある。
また、島根県松江市で私が鍼灸院を開業していた頃、ひどい坐骨神経痛を訴える患者が近所の鍼灸院へ行き、日本特有かつ古典的な打膿灸を臀部にいくつも施術されたものの、痛々しい、直径20mmほどの灸痕を臀部に残しただけで、全く完治しなかったが、当院で施術したところ、数回で完治した例もある。
中国では、灸の熱が加わる深度は皮下10-20mm程度とされており、臀部には灸よりも鍼施術が適していると言われている。実際、浅層で起こる上殿皮神経付近の癒着であっても、深層で起こる梨状筋筋膜と坐骨神経交差部で好発する癒着であっても、それらを灸の熱刺激のみで改善させることは物理的に不可能であることは明らかで、刺鍼による創傷治癒で物理的に減圧し、癒着部の自然な回復を促す方が確実な効果を期待できる。しかしながら、日本の伝統鍼灸流派のように、刃先の丸い、刺入しない鍼や、短く細い鍼では明確な効果は得難いため、中国式の刺鍼法が必須となる。
もちろん、ヘルニアや腫瘍、脊柱管狭窄症によるオペ後の金属固定部の癒着など、腰椎に器質的な異常が見られる場合は、鍼灸治療が適合しないケースもある。だが、器質的異常がみられなければ、適切に刺鍼することで完治する殿筋および下肢の症状は多い。
当院において、頭痛の次に治療成績が良いのは臀部痛(お尻の痛み)や殿筋のコリに対する鍼施術である。ほとんどの患者が1~5回程度の施術で完治するか、劇的な変化を感じることができる。ちなみに、殿筋側面(小中殿筋付近)はフォンフォッホシュテッター三角と呼ばれ、大きな神経や血管が通っていないため、安全かつ効果的に刺鍼できる。
中殿筋には片足立ちになった時、体重の5-6倍の荷重がかかるとされ、小中殿筋は殿筋全体において、最も癒着が起こりやすいポイントである。赤外線または施灸による温熱刺激や、指圧・マッサージ刺激などによる、外的刺激の影響を受けにくい深部筋肉の筋膜や骨膜周囲では、癒着などの変性が起こりやすく、症状が固定化したり、瘢痕化のような状況に陥るケースがみられる。例えば、長年の殿筋のコリを放置していた影響で、椅子に長時間座っていられないとか、毎日就寝時に殿筋のコリが気になり、テニスボールなどでゴリゴリしてみるものの、一向に症状が改善しないどころか年々悪化する、というケースも珍しくない。そもそも、臀部は脂肪および筋層の厚みが6-10cm程度に及ぶため、指で強く押したり、熱い灸を据えたり、強烈な赤外線で温めても、最深部のコリや癒着などの変性を完全に取り去ることは物理的に不可能である。
殿筋のコリは放っておくと、筋肉の癒着や張力、萎縮、局所的虚血などが、周囲の組織の代謝を悪化させ、いずれは股関節の異常や大腿骨頭、臼蓋などの変性を来たす可能性がある。また、歩行や姿勢の異常によって、頸部や背部の慢性疼痛や変性、ゆがみなどが併発する可能性がある。すでに変形性股関節症や先天性の股関節症、股関節脱臼などがあった場合、刺鍼しても中々改善が見られないケースが多いが、早期かつ定期的に刺鍼しておくことで、QOLを大幅に改善し、股関節の寿命を延ばすことが可能となる。