最終日は小布施と戸隠へ行くことにした。帰りの新幹線が15時発だったから、14時くらいまでには長野駅へ戻れるよう、予定を組むことにした。

天気予報では翌日から大寒波が襲来するという話で、まだそんなに寒くはなかったが、戸隠あたりはすでに雪が積もっているらしかった。

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ホテルは9時前にチェックアウトし、長野駅東口のコインパーキングに停めておいたレンタカーに乗り、9時過ぎに出発した。渋滞はほとんどなく、30分ほどで小布施に到着した。

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小布施といえば、栗菓子と北斎館が有名だ。駐車場へ入るや否や、北斎館の端にある小屋でヒマそうに座っていた中年男性が、我々の車に近寄ってきた。すぐに駐車料金の回収だと気が付いたから、窓を開けて、500円玉を1枚差し出した。駐車料金は400円だった。

平日の午前ゆえか観光客がほとんどおらず、駐車場には先客が1台停めているだけだった。北斎館の入館料は1000円だった。館内は静かだったが、内装業者が時折大声でしゃべっていた。

入口からすぐの場所にミニシアター的な空間があり、北斎と小布施の関係を紹介する動画を流していた。動画は2種あり、とりあえず、すでに流れている動画を途中から観ることにした。

動画はショートムービーのようで、中々面白かった。1本目の動画が終わると、短時間の休憩タイムがあった。すると、2本目の動画が始まるや否や、見知らぬおばちゃんが、館内の見知らぬ観光客たちに向かって、関西弁なまりの標準語で「始まりますよ!」と叫んだ。本来、美術館では何をどう鑑賞しようが個人の勝手だ。他の観光客など放っておけば良いと思ったが、おばちゃんは御節介な人らしかった。

途中、ABCらしき家族のツアー客がゾロゾロと館内に入ってきた。その中に、挙動不審な若者が何人かいて、館内の空気を乱しているようだった。ABCというのはAmerican-born Chineseの略で、黄色人種(中国人)なのに中身は白色人種のようであるから、中国では香蕉人(バナナ人)と呼ぶこともある。

逆に、海外移住後も中国文化に染まったままの中国人は、外見も中身も黄色(アジア人)のままだから、芒果人(マンゴー人)と呼んだりする。さらに、中国文化にドップリと傾倒している白人のことは、外観が白いのに中身が中国人のようであるから、鸡蛋人(タマゴ人)と呼ぶ。ちなみに、中医批判の本を上梓したり、ウェブ上で似非科学や宗教批判に躍起になっている中国人の某作家は、ウェブ上で香蕉人と揶揄されることもあれば、无理取闹な人だとか、洋奴などとも呼ばれることもあるようだ。

動画を見終わったあとは、こびととは別行動で、館内に掲示された浮世絵を観ることにした。たまに、美術館で知ったかぶりの知識を大声で披露している迷惑千万な輩がいるけれど、芸術性の高い作品は、可能な限り静かな環境かつ自分のペースで鑑賞したい、と常々思う。

しばらくすると、こびとがABCらしきオッサンに話しかけられていた。彼は香港近くの何とか島の出身で、20年前にオーストラリアへ移住し、医者をしていると言った。今回は東京で行われていた医学会議に出席するため、日本へ来たとのことだった。日本語は全く解せない様子であったが、当然ながら英語と普通话はネイティブレベルだった。日本には家族と2週間滞在する予定で、京都や北海道へ行ったあと、何故か長野市の小布施へ来た、と言った。さらに、彼は「北斎の絵は素晴らしい」と言った。私が鍼灸師をやっていると言うと、オッサンは私も患者の希望があれば針治療をすると言った。オーストラリアでも、去年トランプ大統領が署名した某法案の影響があるのだろうか、と想像した。

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北斎館を出たあとは、隣にある高井鴻山記念館へ行こうと思ったが、時間がなかったので、すぐに戸隠神社へ行くことにした。 

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戸隠周辺は少し雪が積もっていたが、道路の雪は解けていて、走りやすかった。今回は、最短距離に位置する奥社だけお参りすることにした。

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参道には15cmくらい雪が積もっていた。鳥居付近の木に「クマ出没注意」の表示があった。最近は食糧不足などが原因で冬眠しない熊がいるらしいから、冬場でも熊に遭遇する可能性がある。新宿か吉祥寺のモンベルで熊除けの鈴を買っておくべきだったと後悔した。

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冬の平日ゆえか歩いている人はほとんどおらず、遠くに1人、2人幽(かす)かに人影が見えるくらいだった。時間はちょうど12:30を過ぎていた。公衆トイレに置いてあった地図によれば、奥社までの距離は約2キロあり、この路面状況だと、最低でも往復1時間はかかるだろうと予測した。新幹線は15:00発だから、13:30までには戸隠を出なければならなかった。本当は、参道入口にあったそば屋でそばを食いたかったが、今回は諦めることにした。

木漏れ日の下、平坦な道をしばし歩くと、茅葺屋根が印象的な随神門が見えてきた。屋根には先の尖った大きなツララが無数にぶら下がっており、落ちて来ぬものかという一抹の不安を抱きながら、素早く通過した。ノースフェイスのブーツを履いていたから積雪は問題なかったけれど、日陰ではツルツルと滑って危険だった。トレッキングシューズか後付けのスパイクを持参するべきだったな、と後悔したが、ここで戻るのは癪に触るから、気合で歩き続けることにした。こびとはUGGのブーツを履いていたが、ノースフェイスのブーツより酷く滑っていた。

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転倒寸前な状態で15分ほど歩き続けると、さすがに息が上がってきて、正面から歩いてきた中年カップルに、思わず「奥社はあとどのくらいですか?」と聞いてしまった。夫らしき男性が「あと10分くらいですよ」と言ったが、凍結して滑り台のようになっていた階段を目の前にすると、まだまだ時間がかかりそうな気がした。

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結局、奥社に着いたのはちょうど13時だった。帰りは半ば滑りながら下った。時間はかなりタイトだったが、奥社にお参りできて満足した。

予定通り、14時過ぎにはレンタカーを返却することができた。新幹線の出発時刻まで少し時間があったので、長野駅東口1階の土産屋を冷やかすことにした。中国人らしき若者数人が、お土産に何を買うかで何やらもめていた。店員の中年女性は中国人と片言の英語でやり取りしていたが、お互いに理解できていない様子だった。

やはり、これからは日本でも、华人やヨーロッパの人々のように多言語を自在に操れなければ、どこにでもあるサービス業なんかは外国人に職を奪われてしまうケースが増えてくるかもしれない。実際、最近のサービス業では流暢な日本語をしゃべる中国人が腐りそうなほど存在するけれど、高考対策で狂ったように勉強した中国人にとっては、日本語や英語をマスターするなんてのは朝飯前なのだろう。

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土産屋を出たあとは、隣にあったそば屋でそばを食べることにした。店内は厨房を囲むようなコの字型のカウンター席のみで、東京の立ち食いそば屋を二回り大きくしたくらいの広さだった。昼時を過ぎていたからか客はまばらで、店内には地元民らしきお爺さんが独りで座っているだけで、ラジオの音だけが静かに流れていた。温かい鴨南蛮そばを注文した。この類のそば屋にしては中々美味かった。