41.中風(≒脳血管障害による後遺症)を知る相を論ず
二の腕の裏をつまんでみた時、肉が柔らかで締りがなく、例えるならば、太ももの内側をつまむような具合に柔らかく感じられる者は、必ず中気(=中風)を生じる。また、図のように、手の甲の指の股で、「○」印がある部位全てに肉が満ちている者は、必ず中風を生じる。よって、中風を病む者の手の甲あるいは肘の上の肉を観て、判断しなさい。
42.一相あれば百貧を免(まぬが)れる相を論ず
・歯が細くなく、長い者。
・小鼻が怒(いか)っている者。
・耳が硬い者。
・福堂の肉付きが良い者。
・額の皮が厚い者。
・鼻が豊かで、長い者。
・顴骨(けんこつ、=頬骨)が目の下から盛り上がっている者。
・鼻の下が豊かで口の締りが良い者。
以上の内、一相でもある者は、他の相が悉(ことごと)く貧相であったとしても、貧しくはない。分相応の福分がある。また、運が強いため、危うい事があったとしても自然と逃れる。また、この内の一相あって、心に激しさがある者は、借僕(かりぼく、≒仮の家来、仮の部下)を使う。また、二、三相ある者は、必ず自分の家僕(かぼく、≒家来、使用人、部下)がいる。また、五、六相ある者は、家僕を相応に使い、自然と福分がある。また、以上の八相の内の一相もない者は、必ず貧しく、生涯心労が絶えない。歯の間に悉く隙間がある者、歯が細い者、または歯が細く先が尖っている者は、歯が長くても吉とは判断しない。だからと言って、貧しいとも判断出来ない。第一に、己相応というような運命(さだめ)である。
43.一相あれば発展しない相を論ず
人中と口に締まりがない者は、発展の相があったとしても叶わない。諸事、望む事には滞りがあって、自然と成就し難い。人中は任脈と徳脈(=督脈)の関(=隣合わせになる場所)であり、陰陽合気(いんようごうき)の会(=集まる場所)である。ゆえに、心気が弱い者には、口と人中に気が集まる事はない。よって、自ずと口と人中の締りが悪い。この口の相は、例えるならば、円面(≒丸顔)の少女の口のように、自ずと締りがない。
44.看相の心得の事を論ず
・目上を剋す(≒圧倒する)相がない者は、高い地位(≒職位)に昇り難い。
・目上に従順に仕える者は、高い地位に昇り難い。だが、その地位は長く続く。
・学者、出家者、芸者の類で我慢の心がない者は、大きく発展し難い。
・散財の相がない者は、大きく発展し難い。必ず貧相である。福分があったとしても、内心は大いに貧窮している。
・食を乞うほどの貧相があったとしても、愛嬌がある者や正直な者は、決して極貧ではない。生涯、食に困る事はない。ゆえに、極貧者の福分は愛嬌と正直にある。
・商人で貴眼、威眼がある者は、客がその貴(とうと)さを恐れるため、人気が集まらない。よって、自ずと家業は衰え、破産する。だが、武家の者や長袖(=僧侶、神官、医者など)等は発展がある。
・高位高官の人に愛嬌がある場合は、その位を長く保つ事が出来ない。つまり、愛嬌は下賤の相である。
・子がいる相があるのに子がいない者は、必ず良い養子を得るため、晩年は悪くない。
・辺地(≒田舎)や山間部に住む者は、離婚する相があったとしても、離婚しない事がある。また、子がいない相があったとしても、子がいる事がある。だが、辺地であっても、売女(=売春婦)などがいる土地では、夫婦の縁、子孫の有無とも変化する事がある。
・繁華の地(≒都会)に住む者は、離婚しない相があったとしても、離婚する事がある。また、子孫がいる相があるように観えても、いない事がある。だが、繁都(≒都会)に住んでいたとしても、身の慎みが良い者は、子がいない相があるように観えたとしても、いる事がある。また、夫婦の縁についても同上である。つまり、情(≒情欲)が動く土地において、これらの相は変化しやすい。ゆえに看相は、意識の起変をよく観る時は、万に一失もない。
・親の有無、兄弟の多少については、他の相法にて多く記した。私も穴所、父母の有無の相、兄弟の多少の相については、古人の相法によって観ている。ゆえに、大抵の事はここに著(あらわ)す。まず、天中を父母の官とする。天中の左は父、右は母とする(*女性においては逆。)。また、上を見上げた時に天中の肉付きが窪(くぼ)む者は、必ず親との縁が薄い。なお、この相があるにも関わらず、親に久しく付き添っている者は、必ず親子の関係が悪い。日月の宮も父母の官とする。つまり、父母がいる時は日月の肉付きが豊かで自ずと満たされているように観え、父母が離れる時はその肉付きも自ずと衰える。これらは全て、古人の相法に記されている事である。兄弟の多少については、眉を観て判断するとは言うが、修業が足りない内は観定め難い。
・父母の有無、兄弟の多少、あるいは過去の事は、みな当人が知っている事である。すでに当人が知っている事を観抜き、驚かせたとして、何の役に立とうか。その人が未だ知らざる事を知らしめる、これが出来てこそ、観相者と言う。ゆえに私は、親の有無、兄弟の多少、あるいは過去の事を判断しないのである。
45.指を論ず
・親指を大きく開いて手を差し出す者は、親に縁が薄い。親への恩を未だ送らぬ人である。
・人差し指と中指の間を開いて手を差し出す者は、頼りになる他人がいない。また、他人と末長く付き合う事が出来ず、自ずと縁が切れる。逆に、少しも開かず、ぴったりとくっつけて手を差し出す者は、他人との関係が良く、他人の世話が多い。
・中指と無名指(=薬指)の間に隙間がある者は、妻縁が変わる。また、頼りになる親族がいないか、あるいは親族との縁が薄い。逆に、少しの隙間もなく、開いていない者は、夫婦の関係が良く、親族に縁がある。
・小指を開いて手を差し出す者は、子に縁がない。あったとしても、頼りにならない。逆に、開かずぴったりとくっつけて手を差し出す者は、子に縁がある。
・五指を離れ別(ばな)れにして手を差し出す者は、その当時は心が定まっておらず、迷いがあると判断する。逆に、五指をぴったりとくっつけて手を差し出す者は、その当時は心に締まりがあり、分別(≒理性的な判断)がある。
・手をすぼめたようにして差し出す者は、心が小さく、物事を心配しやすい。逆に、指を広げて反らすようにして手を差し出す者は、必ず望み事が大きく、心は健全である。
・中指と人差し指の付け根に少しでも隙間が出来る者は、他人に関しての損失が多い、と判断する。
・中指と無名指の付け根に隙間が出来る者は、親族に関しての損失が多い。また、親族の世話が多い、と判断する。
・五指全ての根元に隙間が出来る者は、必ず家を駄目にしたり、破産する。また、財宝を貯え難い。だが、倹約の心がある者については判断しない。
・以上に記した指の観方においては、何気なく手を差し出させる事と、肘あるいは脈の所(≒手首)を観るふりをして、その瞬間に指が開いているか否かをよく観る事が重要である。
・右図のように、中指(の先端)を自分の体、顔とする。ゆえに、中指の先端が仰向いているような者は、志が高い。逆に、うつむく者は志が低く、器量がない、と判断する。
・中指の先端が無名指の方へ傾き、見下しているように観える者は、親族の上に立つ。
・中指の先端が人差し指の方へ傾き、見下しているように観える者は志が高く、必ず他人(ひと)の上に立つ。
・人差し指が中指にもたれる(=寄り掛かるように曲がっている)ように観える者は、必ず他人を世話する事が多い。
・無名指が中指にもたれるように観える者は、親族を世話する事が多い。
・中指の先端が左右に曲がっておらず、少し仰向いているように観える者は、他人に頼る事なく、自分で考えて行動する人である。また、中指の先端が左右にもたれず、正面を向く者も以上に同じである。
46.手の筋(すじ、=線)を論ず
・手に筋が多くある者は、気を使って身を楽に暮らす(≒精神労働者)。逆に、手の筋が少ない者は、身を使い気を楽に暮らす(≒肉体労働者)。手の筋が多いのは吉、少ないのは必ず下賤である。
*手の筋が多過ぎる者は必ず神経質で、腺病質である。何事も中庸が吉。
・相応に福分があるにも関わらず、手の筋が少ない者は、必ず内心は下相である。しかし、家業を大切にして、よく働く人である。必ず倹約の心がある。
・手のひらの肉付きが多く柔らかな者は、運が強く、相応の福分がある。
・手のひらの肉付きが少ない者は、身を楽に暮らすが、辛労が多い。
47.三紋(さんもん)を論ず
・天紋が太い者は運が強い。天紋が細い者は運が弱い。また、天紋に切れ目があったり、もつれがある者は、人生に浮き沈みがある。
・人紋が太い者は体が強い。病気になる事が少ない。人紋が細い者は多病で、辛労が多い。また、人紋に切れ目やもつれがある者は、浮き沈みの苦労がある。人紋の先端が上がっている者は運が強く、下っている者は運気が衰えて悪い。
・地紋の根元が細い者は、家庭に関しての辛労が多い。また、短命である。地紋の根元が太い者は体が強く、長命である。また、地紋の根元の筋が入り乱れ、整っていない者は、家(≒家業、家庭)が安定せず、定まったとしても時期は遅い。さらに、家の治まりが悪く、自ずと変化がある。
・三紋が全て乱れ整っていない者は、身の治まりがはっきりとしない。
以上、手のひらの相においては細い筋は判断せず、ただ天仁地(=天人地)の三紋のみを判断するのである。
48.爪を論ず
・爪が厚く潤いがある者は腎が強く、病気になる事が少ない。逆に爪が薄い者は腎が弱く、根気も弱い。
・爪が剥がれている者は腎が弱く、心が性急である。
・爪の根元に白みがある者は腎が強い。白みが薄くなっている時は、腎は衰えている。
・爪が内へ曲がっている者は体が弱く、常に気が塞(ふさ)がっている。
49.三停を論ず
・上停の肉付きが豊かな者は運気が強い。肉付きが貧弱な者は運気が弱い。
・中停の肉付きが豊かな者は運が強く、相応の福分がある。肉付きが貧弱な者は福分が少ない。
・下停の肉付きが豊かな者は家(≒家業、家庭)の治まりが良い。肉付きが貧弱な者は家が治まらず、安定しない。
・上停は天運、目上を司る。中停は人、己、体を司る。下停は地、住所、家を司る。
50.頭(かしら)を論ず
・頭が大きい者は諸事に迷いが多い。頭が小さい者も同上である。
・頭は天の表象であり、円(まどか、≒円満)である。ゆえに諸陽が集まって交通する官であり、心を司る。
51.頂(いただき)を論ず
・頂(=頭頂部)が高く丸い者は、人の下にはつかず、心は正直である。
・頂が高く尖っている者は生涯、苦労が多い。平らな者は運が強い。
・頂に傷があるか、あるいは禿げがある者は、目上と意見が合わない。また、貴人と縁があっても、その縁は決して長くは続かない。
・頂は一身の峯であり、自ずと清い。ゆえに、貴人を頂く(≒司る)官である。また、天の陽、万物を受ける部位である。
52.髪(髪と毛)を論ず
・髪の毛が太い者は腎血が弱い。子に縁が薄い。短命である。
・髪の毛が細い者は腎血が強い。長命である。内心が豊かである。
・老いているにも関わらず額の髪が厚い(=禿げあがっていない)者は、家(≒家業、家庭)を駄目にするか破産する。運が悪い。
・若年にも関わらず白髪が生えている者は、子に縁が薄い。子がいたとしても頼りにならない。
・髭(ひげ)が赤い者は、その当時は辛労が多い。病人の場合は判断しない。
・髭の先が曲がっている者も同上である。諸事が安定し難い。
・髪と髭は草木に応じる。つまり、血は苗であり、心を司る。心腎の要(かなめ)である。また、陰陽であり、父母、血脈に属す。ゆえに、子孫の有無、心・腎の強弱を司る。
*髪は、現代では毛髪の事のみを指すが、ここでは大地に繁茂する草木の様子を人体の毛になぞらえ、「髪=草木」としている。また、古代では「毛=血(けつ)の余り」とされたため、毛の状態が中庸でない者は、腎に異常があると考えた。
*腎…ここでは、現代医学的な腎臓とは若干異なる。古代中国における、五臓六腑の腎の事である。また、現代でも肝心を肝腎と書くように、心と腎の関係は深い。さらに、心は五行では火(=陽極)、腎は水(=陰極)であり、表裏の関係にある。また、心(しん)は神(しん、≒君主)に通じ、腎は臣に通じる。つまり、心は五臓六腑における中心的な臓(≒神、君主)であり、腎は他の臓に随う最下位の臓(≒臣下)であると捉える事も出来る。現代医学的に考えた場合、心は心臓、腎は腎臓であるが、心臓は血液を全身に送り出し諸臓器・組織を潤す臓器、腎臓は血液を最終的に濾過し尿に変換させる臓器、という二点を踏まえると、この二つの臓器が血液の処理という点で、陰陽の関係にあることが理解出来る。
53.表(=顔)を論ず
・正面が広く奥行きが狭い顔の者は、妻子に縁が薄い。必ず老年(≒晩年)は凶である。
・正面が狭く奥行きが広い顔の者は、妻子に縁がある。必ず老年は良い。
・面(=顔)の中部が低い者は、志が低い。だが、愛嬌がある。中部が高い者は志が高い。
・正面は陽であり、若年を司る。横面(=側面)は陰であり、老年を司る。また、面の中央(=鼻)は君位であり、己を司る。
54.首筋(くびすじ)を論ず
・首筋が太い者は長命で、病気になる事が少ない。逆に細い者は、体が弱い。
・首筋が太く立ち伸びているように観える者は、体が強い。相応の福分がある。
・猪首(いのししくび、=太く短い首)の者は長命だが下相である。だが、相応に暮らす事が出来る。また、人柄が良ければ、相応の発展がある。
・人は人苗草と言い、木に属す(=なぞらえる)。つまり、頭は根、首筋は幹、手足は枝に対応する。例えば、小さな(=低い)木は幹が太く、大きな(=高い)木は幹が細いものである。
55.鎮骨(ちんこつ、後頭骨)を論ず
↑鎮骨は南極に属し、福寿を守護する星である。頭の後ろの骨を鎮骨と言う。
・鎮骨がない(=低い)者は、不可解な辛労が度々ある。逆に鎮骨が高い者は、不可解な事があっても自ずと免れる。また、長寿である。
・鎮骨に傷がある者は、諸事に失敗が多い。運が悪い。
56.肩を論ず
・肩が厚く豊かな者は運気が強く、相応の福分がある。逆に肩が薄い者は運が悪く、辛労が多い。また、肩の肉付きが薄く、骨が露わになったような者は、気を使い身を楽にして暮らす(≒精神労働で暮らす)。
・肩の肉付きが厚く、骨が底にあるように観える者は、身を使い気を楽にして暮らす(≒肉体労働で暮らす)。
・肩が大いに怒っている者は下相。
・肩がすぼまっている者は子に縁が薄い。生涯、辛労が多い。
・肩は人体の上にあり、自ずと天陽を受ける。よって、一生の運気、貴賤、貧福を司る。
57.手を論ず
・手が豊かで長く観える者は、人の下につかない。下僕(げぼく、≒家来、部下)を相応に使う。
・手が太く、短く観える者は下賤である。人に使われる。手先が大きい者も同様である。また、手先がしなやかで和(やわ)らかく観える者は、自ずと人を使う。
・左手を上手く使える者は、人を使わない。心が忙(せわ)しく下相である。
・手は一身の左右の甲(かしら)であり、龍虎の臣下の如く、縦横無尽に動く事が出来る。ゆえに、その体の貴賤、奴卑(どひ)の有無を判断する。
*腕と龍虎については『南北相法』の二巻に記してある。以下はその引用。
山東小十郎が問う
「古書では腕を龍と虎に分けています。肩から肘までを龍とし、肘から手先までを虎とすると言います。これは何故でしょうか」
南北先生答える
「私は未熟なので、相書というものをみた事が無い。私が用いる龍と虎は、肩から肘までは前腕より短く力が感じられるので虎とし、肘から手先までは上腕より長くゆるやかなので龍、としている。つまり、虎はその身体が短く勇力であるのが自然であり吉とし、龍はその身体が長く豊かなのが自然であり吉とするのである。手は左右君臣の部位とし、左を君(くん、≒君主、主)、右を臣(しん、=臣下、従)とする」
58.胸を論ず
・胸が広い者は内心が丈夫で、思慮深い。逆に、胸が狭い者は諸事において忙(せわ)しく、思慮が浅い。
・骨が露わになっているような胸の者は心気が弱く、運が悪い。病人や老人は考慮に入れない。老人で鳩尾(みぞおち)にしこりがある者は、未だ運が尽きていない人である。
・胸は肝気の勢いが現れる。若者は胸に勢いがあるのが常である。
・若者で胸が落ちくぼみ過ぎて、腹が出ているように観える者は、気は豊かだが大きく発展し難い。
・鳩尾は肝気が集まる場所である。また、肝気が衰えるのは老人の常である。逆に、肝気が強いのは若年の常である。肝気は発達(=発展)の気である。
*「肝」は五行では「木(もく)」に属し、「木」は春、東(=太陽が昇る方角)、青(≒未成熟、若さ)、陽が増加する時期、樹木が盛んになる時期などに該当する。ゆえに、「発達の気」であるとする。
59.乳(ちち)を論ず
・乳房が整って上を向いている者は、必ず子孫がある(≒子孫に恵まれる)。逆に、乳が下を向く者や乳が小さい者、特別に乳が大きい者、左右の乳の大きさが異なる者は、悉(ことごと)く子に縁が薄い(≒子孫に恵まれ難い、子孫がいても役に立たない、子孫に関する辛労が多い)。
・乳は胴体の日月(じつげつ、=陰陽)であり、子の食を蓄(たくわ)える場所である。ゆえに、乳の善悪(よしあし)によって、子孫の有無を判断する。
*全ての相において言える事であるが、中庸(ちゅうよう、=偏りがない、≒中道)な相が最も良い。例えば、乳について言えば、成人しているにも関わらず乳が小さ過ぎるのは「不及(ふきゅう)」であるし、逆に乳が大き過ぎるのは「過」であり、共に凶である。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、小さ過ぎる乳も、大き過ぎる乳も子孫に恵まれ難い。また、乳は子供の食となる部位であり、乳が小さ過ぎると食となる果実が未熟かつ欠乏しているに等しく、乳が大き過ぎると果実が熟れ過ぎているに等しい。ゆえに形とバランスが良い、適度な大きさの乳が子供をより良く育て、子孫に恵まれる、と観る。さらに、人の食となる植物は天に向かって伸びるのが自然であり、それゆえに上を向いた乳は健全である、とも観る。ちなみに、ここでの乳の観方は女性に限った相法である。ちなみに、人相では雰囲気の陰陽(パッと見た雰囲気が明るいか暗いか、腹黒そうか腹黒くなさそうかなど)と、気色や艶の有無を特にしっかりと見分けることも重要だ。同様に声の陰陽や艶の有無も重要である。
60.腹を論ず
・腹が丸く豊かに観える時は内心も豊かで、大抵は身の治まり(≒安定)も良い。
・大体において、腹が丸く豊かになる時は、その身の位(≒身分)が大方定まっている、と判断する。ゆえに、腹が大きい者は、その後大きく発展する事がない。
・腹がないように観える者は、身の治まりにおいて未だ安堵出来ない。
・腹が豊かになるに随(したが)って、自ずと運が開く。腹の相が悪い間は運が良くない。また、体が弱い者も同様で、腹の皮が厚くなる(=肉付きが良くなる)に随って自ずと運が良くなる。皮が薄い間は運が良くない。
・腹は水に応じ、腎に属す。また、腎は身に潤いを与える。ゆえに、その体の強弱、運気、貧福を司る。
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