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島根に住んでいた時の話。

島根の北京堂は、まだ八束郡と呼ばれていた頃の東出雲町で、師匠が30年ほど前に開業した。今も9号線を米子方面に走っていると「北京堂鍼灸」と書かれた看板が見える。ちなみに東出雲町と言えば三菱農機と黄泉比良坂(よもつひらさか)が有名だが、私は島根へ行くまで知らず、師匠のお父さんに案内されて初めて知った。 

2008年頃には短期間であったが、松江の菅田町あたりで師匠が営業していたらしい。学園通りの北京堂は2009年から営業している。最初は師匠の中国時代の旧友であった鍼灸師のTさんが経営していたのだが、イロイロと諸事情があり、2010年から私が一時的に北京堂を引き継いでいた。現在は師匠の弟子の研修所というか、訓練施設のような感じで、新しい弟子が数年ごとに引き継ぐようなスタイルになっている。 

2010年も学園通りの北京堂は松江駅から徒歩10分くらいの場所にある、茶色い外壁のビルの6階で営業していた。このビルは7階建てで築30年ほどになるが、完成当初は松江で最も高いビルとして、市内でもひと際目立つ存在だったらしい。今は1階におしゃれなカフェが入っているそうだ。 

基本的に鍼灸院の立地は、可能な限りバリアフリーである方が良いため、師匠は6階に鍼灸院を構えることに反対していた。しかし、友人であったTさんが「眺めが良い方が良いでしょ」と主張したため、断ることが不得手な師匠はTさんに言われるがまま、606号室の賃貸契約書にペタンと判子を押してしまった。師匠はあとになってから、「馬鹿と煙はなんとやら、だからなぁ」と言い訳がましくTさんの陰口を叩いていた。 

鍼灸院には様々な患者が訪れる。特に強度のぎっくり腰や捻挫、肉離れ、脳血管障害後遺症などの患者は歩行困難であることが多いから、上階まで上がるのには多大な労力を費やさねばならぬ可能性がある。さらに、北京堂のような響きの強い針灸治療は施術後のダメージが大きいため、数段の階段さえ降りることが困難になるケースが珍しくない。 

ゆえに北京堂のような鍼灸院の立地は1階かつ、入口付近に段差がないのが理想だ。エレベーターがついていれば問題なかろうと思う人もいるかもしれないが、マトモなビルであればエレベーターの定期点検が必ずあるから、ビルによっては1ヶ月に数回エレベーターが使えなくなることもある。 

実際に北京堂が入っていたビルでも、定期的かつ予告なしにエレベーターが止まるもんだから、運悪くその時間に予約を入れていた患者は、ヒイヒイ言いながら6階までの階段を上らねばならなかった。島根人は普段は車の移動が主であって、東京人のように歩く習慣が少ないから、たかだか6階までの移動であっても相当な負担を強いられるらしかった。また、島根の北京堂は東京と違って高齢者も多く来院していたから、90歳前後の老人が息を切らせながら階段を使う時は、昇降途中で逝ってしまって焼香が必要になるのではないかとヒヤヒヤした。

そういえば、オスマン・サンコン氏は日本で初めて通夜に参列した時、焼香のやり方がわからなかったらしい。それで前に並んでいた人の作法を真似ようと思ったそうだが、「ご愁傷様です」と言う日本語が「ご馳走様です」と聞こえ、香木を額に近づける仕草を後ろから見た時、香木を食べているように見えたため、香炉へ落とすはずの香木を口の中へ入れて食べてしまったそうだ。

松江の北京堂を引き継いで数か月ほど経つと、日中ずっと日が当たらない玄関横の部屋で、カビと結露が大発生していることに気が付いた。和室だったが、畳が一部腐っていて、置いていた物のほとんどがカビていた。 

このカビ事件を管理会社に伝えると「すぐに確認に行きます」とのことで、本当に管理人が数分で飛んできた。どうやら、この部屋は北向きであったことと、壁に断熱材が入ってなかったため、カビと結露が大量発生したらしかった。ちなみに現在、島根のように寒くて多湿な地域ではペアガラスと呼ばれる2重窓が主流になっているらしいが、このビルは古いためか、窓は1重にしかなっていなかった。とにかく断熱材を入れていないのは致命的だと思った。 

その後、管理会社は断熱材が入っていないことが不味いと思ったのか、606号室を含めた空き部屋は全てペアガラスと断熱材を入れるリフォームを施していた。これ以降しばらくは、患者との会話はカビ事件の話で持ち切りになった。なにせ田舎にいると話題が乏しいから、ちょっとした事件でも針小棒大なネタになる。 

するとある日、いつも不動産経営でガッポリ儲けて笑いが止まらないような顔をしていた患者のEさんが「うちの自社ビルの1階のテナントが空いてるけん。安くしちゃるで」と言った。島大近くの学園通り沿いで、川津のバス停も近くて、立地はまぁまぁ良い物件だった。Eさんはその物件の上をオフィスとして使っていたから、その下に鍼灸院が入れば、気軽に鍼灸治療を受けられるようになるだろうという魂胆があったらしい。

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しかし師匠にこの件を話したら「移動するのは困るよ。患者さんが混乱するから」と言ったため、結局、2012年に同じビルの7階へ移動するという妥協案に至った。管理会社は悪いと思ったのか、家賃を据え置きにしてくれた。松江城が見える眺めの良い部屋だった。南向き、角部屋、最上階の7階だったから、湿気の害から逃れることは出来たが、相変わらずエレベーターの点検問題は解決出来ないままになった。 

2011年に東日本大震災が起きた時は、まだ6階で営業していた。3LDKの間取りで、ベランダ側の2部屋を治療部屋にして、4畳半くらいのリビングダイニングを待合所にしていた。待合所にはテレビを置いていて、患者が暇を持て余さぬよう、テレビをつけっぱなしにしながら治療する、というスタイルだった。 

東北から島根までは直線距離でも1000キロくらいはあるからか、さすがに揺れは感じられなかった。現在のようにスマホが普及していなかったから、おそらくテレビをつけていなかったら、地震があったことには気が付かなかっただろう。テレビをつけておいて良かったと思った。 

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ちょうど私は患者に鍼を刺し終わったあとで、水道で手を洗っていた。すると突然テレビの画面が騒がしくなり、キャスターが大地震が起こったと興奮しながらしゃべっているのが見えた。しばらくすると津波警報が発令され、画面に映し出された日本地図の沿岸が赤く点滅し始めた。赤いマーカーが点滅している場所に津波が来るから注意して下さい、という報道だったが、島根県鳥取県沿岸だけは何故か赤いマーカーが点滅していなかった。針を刺されたまま、うつ伏せになっていた80歳過ぎの女性患者に地震があったことを伝えると、「島根は神の国じゃけん。地震は起こらんし、津波も来ない」と悟りを開いた聖人のように、落ち着いた様子で答えた。 

その後しばらくは、患者との会話は地震の話で持ち切りになったが、「島根は神の国であるゆえに災害が少ない」と語る人が少なくなかったことに少々驚いた。東京で生まれ育った自称シティーボーイにとって、これは島根で初めて受けたカルチャーショックだった。 

そういえば、島根県雲南市大東町には、知る人ぞ知る海潮温泉という秘湯がある。海潮温泉は出雲風土記にも載っているという古い温泉で、無色透明の湯だ。この温泉が好きだと言って、毎日のように入り浸っている患者がいた。彼は東日本大震災が起こる前日にも湯船に浸かっていたが、その時急に湯船が茶色くなって、驚いたそうだ。これまで海潮温泉で茶色い湯が出たことはないらしく、のちに彼は「あれは大地震の前兆だったんだろうか」と語った。東北から島根まではかなりの距離があるし、フォッサマグナを隔てているけれども、結局は同じ地殻の上にあるわけだし、地球規模で見れば1000キロなんてのはわずかな距離であるから、そういうこともあるかもしれないな、と思った。 

地震が起きて数日後、仙川で店を経営している高校時代の先輩から、「東京はどこも電池が売り切れで困っている。そっちで買って送ってくれないか」と電話があった。その日の夜に春日町の、あるのに「いない」というホームセンターに行って、電池を大量に買った。駅前のイオンでは東北に住む親戚に送る物資を沢山買ったが、店内は予想外にも在庫であふれていた。

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2012年には島根から師匠と北京へ行った。北京では針灸用具店で大量の棒灸を買って船便で送ってもらった。薬監証明書などの面倒な書類を厚生局やら税関やらとやりとりして、苦労して手に入れた棒灸だったけれど、数箱使っただけで、残りは全て東日本大震災の被災地に送ってしまった。

定期的に被災地へ訪問し、物資を届けているという某会社のお偉いさんであった、出雲市出身のSさんという患者がいた。鍼灸師として現地へ行って何か出来ないかと思ったが、針灸に対する誤解が多く、針灸治療の社会的許容度が低い日本においては、行かずに物質的な援助をする方が良いだろうと考えた。で、ライター、ロウソク、棒灸、棒灸の使い方を書いた説明書を1セットずつに個別包装して箱詰めし、Sさんに荷物を託した。Sさんはとある仮設住宅で、この棒灸をすべて配ってくれたそうだ。 

しかし今考えれば、あれは失敗だったな、と思う。当時の私はまだ棒灸を使い慣れていなかったため、棒灸の煙の酷さに気が付いていなかったのだった。狭い仮設住宅で有煙棒灸を使ったら、衣類やカーテンに臭いが付くし、部屋中がモクモクになって大変なことになるだろう、という想像が出来なかったのは愚かだった。今は台湾製の良い無煙棒灸があるけれど、当時は細くて小さな、火力の弱い無煙棒灸しか販売されていなかった。